[コメント] マルホランド・ドライブ(2001/米=仏)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
イメージで思い出したが皆さんは漢字を覚えるのにブロック単位で覚える様ですね。例えば「林」は木が二本とか「怒」は女、又、心というように。〜ですね、と使ったのは大学受験がもう終わろうかと言う年齢の時に普通はこうやって覚えるというのを知り「あ」と思ったから(←遅い)。それまで自分は「全ての漢字をイメージで覚えようとしていた」ので漢字を書かせると「そんな漢字は存在しない」だの「外人が書いた漢字みたい」とか言われていたんス。そのあとすぐパソコン生活に入ったので未だに信じられないぐらい漢字が書けない(←いいわけ)。
さてこの映画は各登場キャラクターが絶妙の独立した意味を持っていて、なおかつそれらがまとまった時に大きな1つの意味「マルホランド・ドライブ」となるわけでまさに東洋の文字の様だな、とそう言いたかったのだ。そういえば『ツイン・ピークス』なんかも木と建物(辺で言うと まかんむり、建物の意味)と鬼で 「魔」 だし(ホワイト、ブラック・ロッジをイメージ)、案外監督は漢字知っていたりするのか?まさかね…
ちなみにこの映画の主役3人の関係を漢字でイメージしてみると(一文字として↓)
「女男女」で読みは なぶる、たわむれる
「女女」いいあらそう
縦に「女」2個で うつくしい
と読むそうでなんかイメージが近い。
以降はこの映画の解釈ですので興味のある方のみということで。
○ブルーボックスに吸い込まれる前の解釈
まずベティーは冒頭部分で後半に説明される内容によってショック死している。しかし殺し屋は金だけもらってとんずらしたようだ。リタはあの富豪から主役を降りるようにワイロを持ち掛けられたか?アダムにその趣旨を伝えに行く途中であの自動車事故に遭う。
ベティーは向こうの世界から老人夫婦によって呼び戻される。自分がそう言う存在(向こうの世界に連れ込む霊)だと理解する※まで自分自身も気が付いていない。リタは記憶喪失になっているのでベティーを元恋人の幽霊だと分からない。しかしリタは以前二人で行った劇場を思いだし同時にベティーが「そこに存在しているようで実は存在していない泣き女」であることを理解する。
※劇場で手が震えた時点
○ブルーボックスに吸い込まれた後の解釈
向こうの世界にリタが招かれた事でわかるベティーの最期の記憶の再現。 部分的に監督(アダム)の母親がココだったりカウボーイの姿があったり富豪推薦の女性(カミラ・ローズ同名?)が出てきたりするのはベティーの生前の記憶と霊としてリタの前に現れた後の記憶の混在だと思う。ブルーボックスを通して異界で起きているベティーの心の再現とでも言おうか。
ただしこの映画だけを見てこういった解釈には至っていない。監督の世界観をツインピークスシリーズやブルーベルベットなどで見せつけられていればこそ、である。
そうそう、音楽にも触れておきたい。映画にも登場しているがアンジェロ・バダラメンティは素晴らしい作曲法をしている。作曲家はテクがあるので実は映像や内容が無くても曲は作れるんだがおそらくこの映画も監督が横にべったりくっついてあーでもないこーでもないと色々言っただろう事は想像できる。先にイメージあり、で作曲する素晴らしさ。音楽に鈍い監督は腐るほどいるがこの二人による共作は映像と一体になって映画音楽とはどうあるべきかを教えてくれる。
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