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[コメント] ドッグヴィル(2003/デンマーク=スウェーデン=仏=ノルウェー=オランダ=フィンランド=独=伊=日=米)

後半は人間ドラマから別の次元に突き抜ける。視点がどんどんマクロになっていく収束に圧倒される。
ざいあす

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







最初でプロローグとか第1章とか書かれてたので、スタジオの床に白線引いただけの世界は、単なる寓話的な序章だと思ってたんですよ。

そしたら延々これで通す!まんま舞台劇。

はじめのうち、村の住民たちの人間模様を描きながらニコールが優しさをふりまいて溶け込んでいくあたりは、(絶対ロケの方がいいよ。美しい村の自然も入れなきゃ)なんて甘いこと考えてた。

しかし、住民たちの心の醜さが次第に浮き彫りになってくると、 手持ち風な揺れのカメラが村人の表情に迫って、箱庭的空間のテンションは上りっぱなし。 家の中にいる住民の肩越しに、グレースの上に乗ってケツ丸出しで腰を動かす農夫のシーンなど、シュールの極みだった。

この監督、よほどのトラウマ抱えてるんでしょうか? 人間を見る視線に愛がない。 ご丁寧に、最初はそれぞれの住民とグレースが心を通わせるいい話を作っておきながら、そこからズドンと落とす。

前半はそれぞれのキャラが立っていて、長尺でも飽きさせなかったが、後半は別モード。まさに「監督の映画」になり、役者の演技比べや住民それぞれの想いなどどーでもよくなってしまった。 ジェームズ・カーンの登場がある種の視点切り替えになって、村社会を俯瞰視する効果はあったと思うが、復習劇のようにスッキリさせてしまったのは予想外の効果だったのでは。

よーく考えればアメリカの歴史そのもののような暴力による清算。何の解決にもなってない。 いっそのことキッドマンが魔女狩りのように吊るされて焼かれたりしたほうが徹底してて良かったのかも。

閉鎖的なコミュニティに部外者が訪れて起きる悲劇で「天使はこの森でバスを降りた」を思い出したが、こっちは偽善を挟み込む余地の一切ない非情さ。 醒めた視点でコミュニティを、あるいは人間そのものを炙り出すには、やはり剥き出しのスタジオがぴったりだったと思う。

(評価:★4)

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