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[コメント] レボリューショナリーロード 燃え尽きるまで(2008/米)

タイタニックから10年。その悲劇の主人公がそのまま夫婦となって蘇る。スター映画を期待するファンは見事、夫婦のとてつもない赤裸々な実像に冷水を浴びる。
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**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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1950年代。音楽も調度品も映像自体もアナログに徹している。まるで最新映画館で旧作を見ているようなそんなすっぽり感さえある。日本人の僕でさえこうだからアメリカ人はそのノスタルジーで一種の現実逃避を感じる人もいるだろう。

しかし、意地の悪いサム・メンデス。とことん人間の相容れない本質に迫ろうとする。そう、男と女。始末の悪い結婚という制度に胡坐をかく城のようでいて廃墟と化する夫婦にメスを入れる。そこにある古来から存在する夫婦の生の姿をストレートに分析した物語を執拗に語り始める。

男も女も愛という幻を見てひとときでも離れたくない、一緒にいたいという気持ちが募り、社会的に一番安定している制度(夫婦制度)を甘受し結婚していく。この映画の男と女も別に特殊な人たちではない。実に普遍的な夫婦と言えるだろう。特に男は出世競争も傍観するいわばその他大勢のサラリーマンに成り果て僕らと親近感さえある。対して女は演劇もしかり、創造的で現実にない何かを模索している夢想主婦である。

現実否定症候群が高まりつつある妻とそれを受け入れようとした夫。しかし、夫の仕事に急に宝石の輝きが見え出したとき、、。

単純なハナシなんですな。特に男の心情はほぼ誰にでも納得させられる普遍的な(普遍的過ぎると言ってもいいほどだ。)ものであるからにして、妻の言動が何か常軌を逸しているようにも思えてくる辺りは怖い。まあ、ここではパリ自体がいわゆる「青い鳥」の象徴に過ぎないことは明らかなんだが、ふとパリに移住してもいいと思ってしまう夫も実に軽い人ではある。(しかも、夫が主夫になるのである)

この映画のテーマは夫婦であります。子供が二人もいながらある日妻はふと夫が厭になる。そうすると夫への関心もなくなる。触れられるのも厭になる。(他人だから当たり前だ。)夫婦ってある瞬間から他人になる時というのはあるものだ。もともと他人同志だから他人に戻るときも早い。

最後の朝食のシーンがすごいですね。何かを感じながらも丁重な妻にある修復を感じつつ不安な夫。ディカプリオはうまくなった。作品を選んでいることが伺われた。実にいい演技だ。対するケイト・ウィンスレット。これはスゴイデス。この世の崩壊をすら見届けたような、すべてを受け入れたような透いた気持ちを、体全体で、指の先端にまで表している。夫婦の最後の会話。実に美しい。しかし、残酷である。

どんな男と女も最初はタイタニックの純愛のように燃え上がり、夫婦となり、家族を形成し、他人からはうらやましい家庭を築いているようでも永遠に燃え上がったままということはないのである。そう、愛はある日突然消え去る時もある。燃え上がりが激しい愛ほど灰になるのも早いのかもしれない。

そんな古今東西昔、語られてきた愛の物語の、現代への警告と受け止めようか、復習と自念しようか、少なくともこの映画は新しい映画ではない。僕の隣のカップルはこの映画を見終わった後そそくさと退散してしまった。でも、夫婦生活を続けている世の中の吾人には思い当たるところが多すぎて少々ほろ苦い感覚もありました。年代を選ぶのかも知れませんね。

でも、楽しい映画ではないけれど秀作です。全く違う映画だけれど「めぐりあう時間たち」と感覚が似ているような気もする。女性映画なのかなあ。

(評価:★4)

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