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[コメント] タクシードライバー(1976/米)

トラビス、その愚直なほどにその場に流されず、ひとつひとつ確かめていくような生き方。わたしにはとてもできませんし、きっとそんな生き方してたら疲れそうと同情しまるだろうし、でもだからといって積極的にそんな人とつきあいたいとも思わないだろうなぁとも思います。とっても尊敬することは確かですが。
ふみ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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 何回かテレビで見てるんだけど、深夜番組とかで一度もまともに最初から最後まで見たことなくて、はじめてこうなってたんだとわかりました。

 何と言ってもデ・ニーロ演じるトラビスですが、彼の信じる強靭な「正義感」には、ナイフのような鋭さと恐ろしさとを感じます(絶対つき合いたくない相手だな)。

 彼が「こんなことは初めてだ」というセリフを言うところが2か所あります。ひとつ目は、先輩ドライバーに、何かしたいが何をしたいのかわからないという葛藤を打ち明けて、「俺達は負け犬なんだからあんまり悩まず生きていけばいい」みたいなこと言われた時。それまで視線の定まらなかった彼は、「こんなばかげた話は初めて聞いた」と相手を見すえて言います。もちろんわたしもひとのそんな話を聞いて、おんなじことを思ったことは何度もありますが、その人の前でそんな恐ろしいこと言ったことありませんし、これからも絶対言わないでしょう。それどころか同調するふりすらすると思います。そしてあまりにその気まずいシーンが長いので、見ているこっちがはらはらしてきてしまいます。

 もうひとつは、ジョディ・フォスター演じるアイリスのヒモ、マシューズが、何の脈絡もなく「あんた頭は大丈夫か?」と言った時。トラビスはほとんど何も言わにマシューズをにらみ、マシューズが冗談だとか、あんた変わってるとか言って場をつくろおうとしますが、気まずいシーンはああ、何が起こっちゃうの〜というくらいつづいて、でも何も起こらずに次のシーンへ進みます。

 でも考えてみると、「まじめな人」って、きっとそうなんだろうなぁと思います。愚直なほどにその場に流されず、ひとつひとつ確かめていくような生き方。わたしにはとてもできませんし、きっとそんな生き方してたら疲れそうと同情しまるだろうし、でもだからといって積極的にそんな人とつきあいたいとも思わないだろうなぁとも思います。とっても尊敬することは確かですが。

 物語のクライマックスは、トラビスが望んでいた「鎖のようにつづく長い生活」を変えるきっかけ、大統領候補暗殺未遂と、少女アイリスの救出のふたつの行為を描いていきます。結果的に暗殺が未遂に終わり、行き場のないエネルギーが少女の救出という二次的な行為へと向けられ、それがこの物語に予想もしないような「ハッピー・エンド」をもたらすわけですが、わたしはそれが偶然そうなってよかった〜、という風には受け取れません。何だろう、この変な違和感は、と思って見終わった後、おふろの中で考えたのですが、それはきっと映画の中の結末は、わたしたち一般にとって都合のいいハッピー・エンドに過ぎず、トラビスにとってはいずれの行為が実行に移されたとしてもハッピー・エンドだったはずだというところからくる、いわく言いがたい違和感。何かがちょっと違っていたら、衆人の非難の的となるべき行為だったかもしれないものを、何ひとつ理解せず、自分たちの都合で勝手に美化し、物語化してしまう時に感じるあの気分の悪さだと気づきました。その意味で、それはハッピー・エンドの片側に過ぎないでしょう(いやハッピー・エンドなどというばかげた言葉を使うのも愚かしいことなのかもしれません)。

 暗殺に失敗したから少女を救出し、それが成功したから英雄になれた、というのは単なる偶然のたまものでしかありえず、そうした見方をする限り、たまたまドロボウに入った家がガス中毒か何かになってて、それを助けて逆にほめられる、みたいな、それじゃ救いようもないばかげたストーリーではありませんか(それがハッピー・エンドという語の本質なのかもしれませんが)。それではクライマックスに至る、長いトラビスの性格描写が何の意味も持たないでしょう(それとも、何かあわれな感じだから、神様が幸運をくださったとか?)

 自身の出世や保身にばかり目を向け、「本当の問題」にはおよび腰の権力者たちに一撃を食らわしてやることと、少女を食いものにしているやからから彼女を解放すること。そのどちらが社会的に「好ましく」、そこから得られる結果はどのようなものであるか。彼の思考は明らかに一般的な「好ましさ」の基準とは別の次元を動いています。その実行の困難さからして、どちらかを選択せねばならないがために(あるいは最初に思いついたから?)彼はとりあえず前者を選びましたが(そして失敗したがために後者の実行に移りましたが)、もしできうることならば、彼はどちらも同じように実行しようとしたでしょう、どちらに対しても同じような倫理観をもって。それがトラビスの世界であり、永遠に失われてしまった世界なのです。

(評価:★4)

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