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[コメント] ごめん(2002/日)

マフラーのくだりで死にそうになった。
Myurakz

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 恋愛という「純粋な」感情の一面において、それはそのままセックスという「不純な」行為と繋がっている。そして子どもたちの恋心は通常どうやってもその感情の目的とするところ=セックスに到達し得ないものであり、だからこそ無欲であり純粋である。実際こんなことは嘘っぱちで、性欲なんて「純粋」でも「不純」でもない「当たり前」の衝動なんだけれど、誰もがそれを「当たり前」と気づく前にまず、「恋愛とは不純なことなのだ」と気づく瞬間があるわけです。そしてこれに気づいた瞬間に子どもたちの所謂「無欲な恋心」は終わりを告げ、新たに性欲と渾然一体となった恋心が始まる。それは確かに「子どもが大人になる」ということの一つの形であるし、何より「少年が男になる」ということにおける重要な一要素なんです。

 そしてまた同時に、僕らの中に「報われる術を知った恋愛」こそが本当に明確な意志を持った恋愛感情であるという気持ちがあるのもまた事実で、そこからの七転八倒や喜怒哀楽は決して「不純」の一言で片付けられるようなものではありません。

 だからこそそれらを既に経てしまっている僕らにとって、今作は「報われる術を知りながらも持ち得ない、そのほんの一瞬の恋心」として映ることになり、そこに自分自身のその瞬間の思い出が乗っかってきてしまうんです。好きで好きで好きで好きで、しかもどうすればいいのかも知っているのにそれをすることもできない気持ち。そんな汚れた大人の行為を好きなあの娘にしちゃいけないという気持ち。

 ましてそこで出てくるのがあんな可愛いお姉さんですからね。乗せるのが思い出だけで済むはずがない。性欲も魂も全て乗っけて、「あぁ、自分の恋もこうだったかも。いや、確かにこうだった」と没入させられてしまうわけです。実際誰だって胸が「ギュウッ」となって叫びたくなる瞬間っていうのが確かにあったはずで、それがあのマフラーを結んでもらうシーンや観覧車でナオがすぐ近くに寄ってくるシーン、港でヘッドロックをかけられるシーンなんかで、ガンガンシンクロしてきちゃうんです。断言しますけど、あのマフラーは必ず「いい匂い」がしたはずです。遠い日の「ギュウッ」の思い出には、必ず「いい匂い」が伴っているのです。セイがビニール袋にマフラーを入れて返したのはそのためです。

 すいません、興奮してちょっと脱線しました。とにかくセイがその「ギュウッ」をぶつける対象として、そこに「セックス」ではない「自転車」があったんです。精通を知った己の性欲を昇華させるように一人思い切り自転車を漕ぎ、彼女を奪って二人乗りでさらに自転車を漕ぐ。彼の力一杯の走りは「=セックス」なんてものではなく、あの瞬間だからこそあり得た、セックスと同等以上の恋の成果だったんです。でも僕らは自転車が成果たり得る瞬間が、ヒドく短いことを知っています。もっと言えば彼らの恋愛が続かないであろうことも知っています。だからこそその瞬間のセイの勝利や、その先でセイが延岡に通い続けて一生ナオと共に過ごせることを信じたくなるんです。僕らのうちの大半の人々が、自分はそうはできなかったっていう切ない思い出を持っているから。

 そんな誰もが持っている微妙な瞬間の思い出を、柔らかく暖かく、そして何より面白おかしく描き切った手腕は大変に素晴らしかったと思います。何せこの手の思い出ってウッカリすると「痛い」ですからね。その辺り、子どもたちの演技に絶妙な「間」があったことも大きいんでしょう。彼らの実力なのか指導の賜物なのかは知りませんが、その辺の芸人や役者が勝てないくらい良い「間」を持った映画だったと思います。

 また國村隼河合美智子斎藤歩ら大人の出演者も大変に良かった。大人なんて所詮「子どもに毛が生えた」存在。だけど毛が生えてる分だけ子どもに教えてあげられることもある。そんな身近で暖かい存在が、子どもの熱演の邪魔をしないように周りを固めていたように思えました。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (6 人)林田乃丞[*] コマネチ[*] ペペロンチーノ[*] けにろん[*] Yasu[*] 水那岐[*]

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