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[コメント] ブロークバック・マウンテン(2005/米)

ユートピアを追い求めたふたりの男の、強すぎるほどの絆の物語。単にホモセクシャルの恋愛劇として語る以上の人間ドラマがある。目の前に映し出される大自然は、美しく、そして哀しい…。(2006.03.12.)
Keita

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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 これはゲイの恋愛の物語なのか。いや、僕は、本質的にはふたりの男の強い絆を描いた友情の物語だと思う。ただ、ふたりの関係があまりにも異質だっただけではないだろうか。悲しい男の物語として、ラストシーンではグッと来た。

 出会った頃のイニスとジャックはあまりにも自由だった。そしてその自由な雰囲気を生んでいた土地、ブロークバック・マウンテンはあまりにも美しかった。仕事を通して出会ったふたり。美しい自然の中、ふたりだけで暮らしていく。お互いを理解し、ときにぶつかり合い、そこから友情が芽生えるのは自然だ。いわば、彼らの輝かしい青春時代が、あの大自然の中にあった。しかし、突然生まれた肉体的な欲求。一体それが何に起因していたのか、彼らにもわからないのかもしれない。おそらく、あの土地で生活していたからこそ、ふたりは激しく互いを求めるようになったではないか。

 その後、同じ土地で20年に渡って逢瀬を繰り返す。彼らが会う場所は必ずブロークバック・マウンテンでなければならなかった。そうでないと、彼らの関係は成り立たない。お互いに結婚して妻子を持ち、現実の生活を歩み、あまりに理想とかけ離れた不満だらけの生活をする。その合間を縫うようにお互い密会をするが、現在生活しているフィールドの中では違和感を感じてしまうのではないだろうか。彼らが求めているのはどうしようもない現実から抜け出したユートピアであり、そこでふたりで共に時間を過ごすこと。制約がなかった、出会いの頃のように。

 しかし、お互いの家庭の事情、仕事の事情…現実世界での差異が彼らの関係にも影響してくる。他に何もなかったあの頃とは、たとえブロークバック・マウンテンというユートピアにいても事情が違いすぎるのだ。彼らが追い求める関係=“あの頃のブロークバック・マウンテン”はもやはそこには、ない。現実の生活でも、もうひとつの秘密のふたりだけの世界でも、理想にたどり着くことはできない。

 ジャックが事故死し、それにショックを受けるひとりになったイニス。彼は、現実世界において、いろいろな意味でひとりになった。ラストシーン、ジャックがあの頃着ていたジャケットと、ブロークバック・マウンテンのポストカードを眺め、イニスは言う。「Jack, I Swear. (ジャック、永遠に一緒だ)」と。すべてを失ったイニスにとって、心の中のジャックと一緒にいることが、なんとか生きていくための糧なのだ。イニスが以前言った「耐えられなくなるまで、耐えるしかない」という言葉がそこで重くのしかかる。彼は、ジャックが死んだ今でも耐えながら生きている。そして、これからもずっと…。自ら死を選ぶ、ということは彼にはないように思う。このまま耐え続けていくだろう。そんな孤独なイニスの姿が哀しい。

 エンドクレジット、ボブ・ディランの楽曲「He Was A Friend Of Mine」が流れるのを聴き、僕はこの物語は彼らのあまりに強すぎた男の絆の物語だと確信した。

(評価:★5)

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