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[コメント] スター・ウォーズ エピソード2 クローンの攻撃(2002/米)

ミニチュアやキグルミが及ばないスケールとディテールを確保しながら、なおかつそれらに劣らない質感をも獲得した最高級のCG技術に感嘆しつつ、それを使いこなせないセンスの無さにゲッソリ。
kiona

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







この世界観の感触と同じものを味わったことがある。プレイステーション様ゲームソフト・ファイナルファンタジー8がそれだ。何処までも続く、不自然なまでに神々しい未来都市の景観に圧倒されつつも、その中を歩き回る事のどうしようもない孤独感。それは行き交う数多のエア・カー、数多の通行人達に、全く目的が見えないという違和感に依拠していた。静止する景観に対し動的である彼らは、しかし、ゲーム内世界を構成する歯車の一つとして、主人公を周回する衛生の如く配置されている限りにあって、景観の一つに過ぎない。そこには自由意志も生活感も息吹も感じられない。つまり彼らは登場人物じゃない。

ゲームであるなら、これで致し方ない。だが、そのゲームの必要悪的感触を、何が哀しゅうて映画で、それも老舗のビッグタイトルで、味合わねばならんのか? シリーズそのものが余り好きでなくとも、旧シリーズでこんなに寂しい感触を味わったことはなかった。今やどう見たってキグルミにしか見えないチューバッカにだって、或いはアナログな宇宙船の中で七転八倒する名もなき兵士一人一人にだって、その世界に生きている者としての息吹が感じられた。彼らは一人一人が確固たる地動説の世界を形成するに寄与していた。その中に生まれた擬似的な連帯感のような感覚がシリーズ最大の魅力だったと思うのだが、相も変わらぬファンの熱狂に引き替え、この極上デジタル空間の中に漂う如何ともし難い寂しさはどうだ。いかに圧倒的な見栄えであろうと、数名の主人公を中心に天動説的に成り立つ世界はゲーム空間に過ぎない。その中で主人公達がいかに縦横無尽の活躍を見せようと、結末はゲームクリアすなわち予定調和に過ぎない。

早々にテレビゲームという言葉が頭を過ぎってからというもの、全てがそれらしく見えた。前半の都市におけるF-ZERO的カーチェイス然り、後半の工場におけるトゥームレイダース的アスレチック然り、処刑場でのモンスターとのドタバタ然り、何より登場人物達の重力を完璧に凌駕した肉体然り。元来、特撮にとっての最大の難題が重力だった。円谷の時代から、重力の欠如は見る者をして瞬時に現実に回帰させてしまう最大の懸案だった。それを無視してはリアリティが生まれない。『ゴジラ』から五十年の経たこの映画はどうだ。CGに胡座をかいて、それと向き合う努力を完全に忘れてしまっているではないか。主人公達があらぬ高さからあらぬ勢いで地面に激突するも平然と起きあがる度に、彼らが自分と同じ命を持っているという実感が薄れていった。

よしんば、それをジェダイのお約束ごとと割り切ったとしても、そのお約束ごとをフォローするべき物語がこれまた酷い。いったいあの主役の兄ちゃんは、この先誰になっていくんだったっけ? これだけ我が儘に時間をかけつつ、母親を喪った彼が憎しみに絡め取られ人を殺めてしまう様を、最重要のシークエンスを御為ごかし程度にしか描かず、陳腐なロマンスでオブラートとは、呆れてものも言えない。だいたい脚本全体がどうしようもなく古臭い。手に取るように解る展開も、ありきたりな台詞も、全てが前世紀、いや八十年代の遺物だ。

本当は俺だって、これに熱狂できるようなマジョリティでありたかったよ。でも心惹かれたシーンはワンカットたりとも無かった。俺の細胞は、『宇宙大戦争』や『怪獣大戦争』の方がよほど面白かったと喚いている。如何ともし難い。9割がCG? 結局の所、物質や肉体との激しいアナログ的格闘がどこかでなければ、重力も発生しないし、息吹も感じられないし、感情も揺さぶられない。映画らしい絵は獲得できないということです。

(評価:★1)

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