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[コメント] ワンス・アンド・フォーエバー(2002/米)

国策映画でも、反戦映画でもない。ベトナム戦争映画でさえない。
kiona

“戦争映画ではない。愛の映画だ”…監督の言葉。

今年観た二本目の戦争映画。問いを回避しながら戦場の再現に固執するという歪なスタンスで片側からのみの視座をリアリズムに変換しようとした傲慢さ、にもかかわらず作家自身の美学は盛り込むという図々しさが鼻につき、『ブラックホークダウン』には一点を付けた。同時代の戦争を題材に選びながら、問いを回避した点に、同時代的感覚から猛烈に苛立ちを覚えたのだ。

この映画が扱っているベトナム戦争は、言うまでもなくほぼ二十五年前に終結した戦争であるし、すでに様々な切り口を持った無数の映画が世に放たれている。映画毎の切り口を見定めることが重要と思う。

まずこの映画、脚本家上がりの不慣れな監督が撮った代物らしく、臭くもあり、古臭くもあり、場面毎の意匠が統一感を欠いていて、余計な小細工も目に付いた。ただ傲慢に感じたかと言えば、そうでもなかった。破綻しているなりに筋が通った演出だと思えた。深い部分に突っ込めているとは思えないのだが、嫌いにもなれない。

ベトナム戦争映画は多くが反戦映画だったものの、現象を語るために現場の兵士の苦痛を出汁にすることも多かった。この映画の原作は、そんな風潮へのアンチテーゼを目指し、何とか純粋に自分達兵士の真実を伝えようとした結果、必要としたのが愛というキーワードだった。

蔑ろにされ続けた戦争初期の兵士達の想いを、“後遺症もの”と混同せず、純粋に伝えること。映画はそんな原作の想いを受け継ごうと必死であったように思う。それ故、共同原作者でもある記者の視点を丁寧に描き、祖国における妻の戦いにも執着した。特に、ムーアが我が家を後にするシークエンスは秀逸だった。

しかし今やベトナム戦争を撮るには隔世の感がある。当然ながら、演じる若者達の中に経験者は一人もいない。70、80年代のベトナムものは、政治的な主張が多分に盛り込まれてはいても、そこに封じ込まれた空気だけは紛れもない本物だった。この映画は隔世したことで冷静な視座を獲得したものの、当時の空気を喪失していた。何とも皮肉な話だ。欠けてしまった部分を継ぎ接ぎしていたのは、“どこかで観たような”作り物の断片だったのだ。残念ながら有名作をえぐるところまではいけなかった。

ただ、メル・ギブソン演じるムーア像は決して綺麗事ではない。

「私が最初に降り立ち、私が最後に飛び立つ。生死に関わらず、誰も置き去りにはしない。」

アメリカ軍を百戦錬磨たらしめているのは、紛れもなくムーアの様な指揮官の存在だ。あの古典的な誇りに忠実な像だけは、決して映画的な代物ではない。南北戦争、シャーマン将軍以来の伝統であり、現実であり、アメリカ軍が不屈である所以なのだ。偽善、独善と断じることは理解の拒絶に過ぎない。肯定、否定を越えて理解しなければ、その問題を論じることも難しいだろう。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (8 人)すやすや[*] けにろん[*] トシ[*] sawa:38[*] ハム[*] Orpheus 甘崎庵[*] 映画っていいね[*]

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