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[コメント] 愛しのローズマリー(2001/独=米)

感動、というより感心した。
緑雨

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







人間は外見で他人を判断するものである。容姿端麗な異性に惹かれるのは、より優れた遺伝子を子孫に残したいという本能的な働きによるものであろう。どのような「容姿」を「端麗」と感じるかの基準は、人それぞれではあるが、それを最大公約数的に統合した「美の基準」というものがいつの間にか出来上がり、一般的な美男・美女という社会通念が現に存在している。

しかし、人間が外見で他人を判断するのは、異性間の恋愛感情というシチュエーションにおいてばかりではない。先天的・後天的な理由により自分たちとは、或いは一般的な人間の形とは少し違った形質を持つ人たち〜太っていたり、肌の色が黒かったり、鼻の穴が大きかったり、足の人差し指が親指より長かったり、尻尾が生えていたり〜を見ると、何故か余計な感情がむくむくと生じきて、その人物全体を真に理解する妨げとなってしまう。このことによって歴史上数多の悲劇的な出来事が人間社会に起こり、そして今現在も日々起こり続けている。

この映画は、外見で他人を判断してしまう人間という生き物の罪深い性(さが)を、けっして否定しているわけではないと思う。キャベツ人形(←古い)のように丸々デブったローズマリーと、まんまグウィネス・パルトロウのローズマリー、どっちを選ぶかと問われれば、僕だって当然後者の方を選ぶ。主人公ハルにしても、スリムでセクシーなローズマリーのままでいてくれた方がベストだったに決まっている。だけどラスト、ハルは、スリムなローズマリーと等しく同様にデブのローズマリーも愛することを決意する。何故か。それは一連の体験を通して、デブなのかスリムなのかは見え方の違いに過ぎず、彼女は首尾一貫してローズマリーという一人の女性なのである、という至極当たり前の事実を心から理解することができたからである。

それでも「あぁ、やっぱりスリムな方が良かったな…」と思ってしまう人間の性を、ファレリー兄弟は肯定していると思う。ラスト前のシーン、ハルと、尻尾の生えた親友マウリシオの会話〜「仔犬みたいで可愛いって思う女もいると思うぜ」「仔犬みたいかな?…触ってみるか?」「…おれは犬は苦手で」〜を見ても明らかだろう。それはそれで肯定し、その上でこの兄弟は「だけど、外見ばかりに振り回されている我々は、実はとてもくだらないことにこだわっているんじゃないか?」と観客の心と脳に揺さぶりをかけてくる。

そしてこの映画の一番エライところは、やけど病棟患者の少女のただれた顔を、正面からきちんと映していることだと思う。あの顔を映画の冒頭で何の前触れもなく見せられていたとしたら、嫌悪感やら憐れみやらの感情に邪魔されて直視できなかったのではないだろうか。けれども、ハルとローズマリーをめぐる一連の出来事を見せられた後では、まったく抵抗無く少女の顔を見据えることができる。たかが他愛のないラブコメを観ただけで、少女の顔の見え方が全然違ってくる。この語り口の見事さには感服した。

この隠れた主題を前面に押し出していたら、説教臭くてつまらない映画になっていたかもしれない。他愛ないラブコメのコロモをまとうことで、さりげなく自然に我々にそれを伝えてくれる。気持ちよく笑えて、ちょっとホロリとさせられ、それでいて示唆に富んでいる。素敵な映画だと思う。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (4 人)tkcrows[*] スパルタのキツネ[*] m[*] terracotta[*]

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