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[コメント] しあわせの隠れ場所(2009/米)

”美談”の一言で要約されないよう考え抜かれた構成だ。それはサンドラ・ブロックの側から物語を語ることであり、かつブロックはこのお話の全体像を知らされていないキャラクターとして、その瞬間を生きているということである。
shiono

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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貧困、人種差別、偏見といった社会性は背景に留め、主人公たちが積極的にそれに向き合うことはない。白人家庭の子女が通う私立高校に、場違いなクィントン・アーロンが転校してきたという事実だけを描いて、そこに生じたであろう確執については省略する。作り手が何を見せたいのか、その方向性ははっきりしているし、アーロンの容姿と表情で彼の境遇を理解することもできる。

とにかく人物の行動を見せたいのだ。雨の夜、ブロックがアーロンを車に招くシーンで、彼女はその場限りの親切心を越えた感情の動きを見せるのだが、それは信念や同情、哀れみといった単語では括れない。理性と感情がせめぎ合い、感情が勝利した瞬間を、夫ティム・マッグロウは短い台詞で表現している("I've seen that look many times. She's about to get her way.")。

極端に言葉数が少ないアーロンを相手にして絶え間なく働きかけるブロックだが、ここをエゴイスティックに見せていないところが素晴らしい。財力が可能にした部分も少なくはないだけに繊細さが要求されるところだ。まずは息子SJ(ジェイ・ヘッド)との友情で見せているが、私はこうした子役の使い方はあまり好きではない。作り手もそれに寄りかかることをせず、静のキャラとしてマッグロウや娘リリー・コリンズのさりげないサポートを差し込んできて巧みだ。殊に、図書館でコリンズがアーロンと相席するシーンでは思わず目頭が熱くなった(実際の彼女も、上級選科を捨ててマイケルと同じ教室で学び、彼の卒業の手助けをしたという - imdbのトリビアより)。

こうしたキャラクター造形と語り口の方針は、いくつかの欠点も生んでいる。大局を語る余裕がなくなるのだ。気になったのは、冒頭でアーロンをこの高校に転校させたビッグ・トニー(オマー・J・ドージー)はどうなっちゃったの?ということ。オフボイスで妻と口論というショットはあるものの、導入エピソードのドージーが魅力的に過ぎた。あんな好人物があれだけの登場で終わるというのは腑に落ちない。

ブロック一家に落ち着いてから、皆でレストランで食事をしたとき、給仕係の兄と出くわすエピソードがあるが、この兄というのもそこだけの人物で終わってしまっている。後にブロックが法的後見人になるためにアーロンの身辺を探ることになるが、彼らに話を聞きに行かないのはなぜだろうと疑問に思ってしまった。

また一方で、高校のフットボールクラブの練習風景にも引っかかりを感じる。基本的なスポーツのルールすらわからないほどアーロンの知的水準は低くはないだろう。テレビでもゲームを観戦していたはずだし、ブロックがコーチを差し置いてまで伝えたアドバイスは拍子抜けで笑えない。初試合の武勇伝は面白いものの、ゲームの見せ方自体もよくない。

アーロンがブロックの「大きな体をした息子」のように思えてしまう部分もあるのだが、それでも紋切り型の親子・家族の絆に収束させてはいない。家庭教師キャシー・ベイツの存在感もいいし、読書感想文の候補として"The Charge of the Light Brigade"の話をするマッグロウのくだりもよかった。

この映画で語られる話はつい最近のことであり(エピローグのNFLドラフトのTV中継は2009年)、実在人物たちに胸を張って見せられる映画として意図されているのは作り手の良心だろう。エンドクレジットでの家族のスナップショットには涙が溢れて堪らなかった。

(評価:★4)

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