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[コメント] パッチギ!(2004/日)

加藤和彦の音楽監督による松山猛の伝記。語り継がれるべき文化史を井筒はかつての大島のように、極彩色の演出で塗り潰したうえで、彼等を讃えている。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
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「イムジン河」の放送禁止(自粛)に関して撮られた2本目の劇映画、1本目はフォークル主演の大島『帰って来たヨッパライ』(68年)。フォークルの面々は亡命韓国人の騒動に巻き込まれる。扱われるのが南北の違いはあれど、ユーモアを塗して真相を語る方法は大島作品と似ている。本作はフォークルにとっては二度目のリベンジだった(当時は再結成していた)。加藤氏の最期は残念で、ナイーブな方だったのだろう。彼等の活動は素晴らしかった。東の芝との関係は清志郎にも通じる。

「下関では便所がなかったね」という科白が重い。沢尻エリカがこれを内輪のギャグとして語るのが辛い。何という重喜劇だろう。在日朝鮮人は日本人にとって、アメリカにおける黒人とパラレルだ。これを忘れてはいけないと思う。生徒たちの暴力三昧は誰でも知っている事実であり、取り上げるのは過去の経過からとても微妙な部分を含んでいるのだが、これを重喜劇で一面カモフラージュしながら公衆電話泥棒まで扱った井筒は偉い。方法は違うが、真摯な暴露という切り口は『ドゥ・ザ・ライト・シング』との同時代性がうかがえる。このような先駆的な作品があって初めてフランクに語れる歴史というものがある。

現行の北朝鮮に正当性は何もないが、戦後70年、ドイツのように上手く謝罪できなかった日本も辛い。しりあがり寿の漫画でこんなのがあった。テレビで北朝鮮の例の居丈高なアナウンサーが「日本は過去の過ちを反省していない」と居丈高に語る。バーでこれを観ている困惑の顔つきの客たちの会話、「悪いと思っているよ」「俺も」「どうすりゃいいんだか」。善人である母親余貴美子が沢尻に投げかける嫌味(「へえ、飛行機は飛んでまへんの」)は、どこかで見た厭な光景を我々世代に思い出させる。

「北朝鮮は生き地獄だ」という笹野高史の放言があり、本作はこれを肯定している(この老人の語りは全て正しいという演出だ)。だから朝鮮総連賛美映画などという非難は的外れも甚だしい(もちろん、当時の韓国軍事政権にも正当性はない)。本作は在日朝鮮人を個人として扱っている。だからこそ、笹野に面罵された塩谷瞬の背中を見つめる沢尻の目線に美しさが宿っている。だが、個人であることで万事解決ではありえない。二人はつき合い出してからも、かつての「朝鮮人になれる?」という発言が小骨のように引っかかり続けるだろう。あの科白は本作をただのハッピーエンドから遠ざけており、残る余韻には深淵なものがある。

大友康平扮する当時近畿放送の川村輝夫へのリスペクトを押さえているのも素晴らしい。殆ど殴られるために出てくるプロデューサーの松澤一之ケンドーコバヤシ徳井優のバカ親子、ガラッパチの真木よう子がいい。羽原大介にはもう一本、『フラガール』という傑作があり、ベタがハマると物凄いという、闇雲に盛り上げる手法に本作との共通点があるだろう。

(評価:★5)

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