★4 | 春の夢(1960/日) | 発端はお屋敷に招き入れらえた焼き芋屋! キャラの立った人物たちがエキセントリックな言説を吐きながら、限定空間に入れ替わり立ち替わり現れて話がどんどん転りどこへ行きつくやら・・・身分、労使、貧富、恋愛の合理とナンセンスが巧みに絡み合う見事な群像劇。 [review] | [投票(1)] |
★4 | 七人の刑事 終着駅の女(1965/日) | 駅や街頭を行きかう人混みや、決して広くない捜査本部内を自在に動き回るカメラが、ときに後を追うように、ときに振り返るように刑事たちの奔走ぶりを程よい長回しで捉え続け、人が画面に溢れ返る上野周辺ロケ映像に街頭で録音された市井の民の声が重ねられる。 [review] | [投票(1)] |
★3 | けんかえれじい(1966/日) | 戯画化されたバンカラ世界に見える男の本性としての幼さと、その性が作り出す男社会の軽佻浮薄さは分かるのだが、どうにも才気走ったこれ見よがしのあざとさを感じてしまい、いまひとつ好きになれない。 この作法が、本当に作品テーマに合っていたのか疑問。 | [投票(2)] |
★4 | 河内カルメン(1966/日) | 強がりと落胆、嘘と本音、情と現実を不器用にないまぜにして露子(野川由美子)を世間に送り出す勇吉(佐野朝夫)との別離シーンが白眉。これを契機に露子は人生を「ふっきる」のだ。境遇、欲望、身分、貧富、性癖。そんなしがらみは勇吉とともに消滅したのだ。 | [投票] |
★3 | 帝銀事件 死刑囚(1964/日) | 事件の顛末を一気に語る前半が圧倒的に面白いのだが、平沢登場あたりから勢いが減速し法廷場面で映画が停滞、平沢と娘の顛末は陳腐に堕する。つまりは、事件に対する立ち位置が、客観から主観へと移るにつれて技法で思いが制御できなくなっているということ。 | [投票] |
★4 | どですかでん(1970/日) | 『どん底』から13年。地の底に吹き溜まった貧民屈は、電車が走るまでの空間の広がりを得て、視点は「交わらない思想への諦観」から「孤立する個に向けられる慈愛」へと変化する。70年前後のサイケデリック感を黒澤が料理するとこうなるのだろう。好きな作品です。 | [投票(2)] |