コメンテータ
ランキング
HELP

掲示版: 話題「見ないでコメント」 ()

21件目 - 37件目 (全37件)
[全話題一覧]
この話題のメッセージ: 最初←[1 2]→最新 / [最新の5 件]
Re: 見ないでコメント
炭酸飲料2008年10月22日15時42分更新
横槍で申し訳ありませんが・・・ シネスケの評価によって観る映画を決めることもある人たち(例えば私)にとっては 「見ないでコメント」は好ましくない、とは思います。 でも、『それでも言いたいことがあるんだ』というならば、 拒絶されるべきではないとも思います。 ただし、その場合普段よりは注意深くコメントしてほしいものです(あくまで私の希望ですが)。 ひとりよがりな「見てない」コメントは、  読む側が他人のオナニーを見せ付けられているみたいですし。 (喜ぶヤツもいるかもしんねぇが)
・・・論点は、合ってますよね・・・?
Re: 見ないでコメント
peacefullife2008年10月22日17時13分更新
したっていいんじゃないですか?
まず「見ないでコメント」ていうのが何なのかっていう部分も色々だと思いますが、今までの流れから、★0で、かつ映画本編を鑑賞せずに付けられたコメント全般を指すものと解した上で、私の意見を述べたいと思います。
原則論と各論云々というか、そもそも原則でしか語れないんじゃないのか?というのが私の考えです。 私自身は見ないでコメントはしない。それは自分の主義によるものだし、しろと言われても多分しない。「あなたのコメンテータとしての信頼度が下がるだけじゃないか」と水那岐さんが言うように、小心者の私はいつまでも晒されるのが恥ずかしいのかなんなのか、とにかく怖くてそんなことはしない。(というか最近全然コメント書いてない。いやそんなことはどうでもいい。)ま、かつては★0で書いたことが一度だけあったんですが、結局消しまして。それ以来はこういう主義でやっとります。
自分がどうするかは各人色々とあるでしょうし、意見は色々でしょう。ただ、それを他人にするなとか、こういう内容なら良いとかああいう内容ならすべきじゃないとか、話し合いとか議論の余地なんてものはないと思う。他者の★0コメントを読んで、「あーこいつアホだな」と思うのは勝手だ。原則論から言えば「おまえ★0でアホなこと書いて恥ずかしくねーの?」と言うのも勝手と言えば勝手だ。
しかしある日こんなメールが来たとする 「あなたの○○という映画のコメントですが、これって観ないで書いてますよね?内容を拝見したのですが、・・・・・(中略)・・・あなたのコメンテータとしての信頼度が下がるだけじゃないか・・・(云々)」 私はこれを検閲とは思わないが正直ウザい。何でそんなことあんたに言われなきゃあかんの?と思うだろう、内心は。返事はどう書くかわからんけど。ま、メールなら無視でいいかも知れんけど、掲示板とか公の場で書かれたら正直ビビる。勘弁してほしい。ビビって即消しかもしれない。結果的に検閲みたいな行為と言われかねないと思う。ま、それを検閲だ!と言いきるのも乱暴っちゃ乱暴かもしれないが。
大体★0でコメントが書けるシステムになってる訳です。評価無しでコメントは書かないでくれなんてどこにも書いてないし、そうしたいなら★0でコメントだけ付けられるようにしなければいい。いつぞや語られた、「システムで語る」というやつだと思ってます。 ま、自分としちゃ今まで読んで来た★0コメントの8割以上は下らんつーか、「こいつアホだな」と、自分を棚に上げて思って来たわけです。そりゃ俺なんかに思われる方もたまらんだろう、「てめーのコメントの9割は下らん」と思われてるだろうけど、ま、思う分には良いでしょ「思う」分にはね。それを口に出すのも原則論から言ったら勝手かもしれんけど、そもそも何を書くか自由だという原則を知りつつ、こういう内容ならすべきだのこういうことは書くべきじゃないなんて口に出す方も、「あんたそれ原則破ってそんなこと口に出すべきじゃないんじゃね?」と言われるんではないかと。あーここが一番大事なとこなのに説明下手だ。
そもそもこの:話題「見ないでコメント」というスレが立てられた経緯が、特定映画の特定コメントに関するやりとりがきっかけだったようなので、私の意見としてはそれに対しては以上の通りに思います。
これが例えば「★0でコメント書けるようですがこれって?」とか言ったタイトルでスレが立てられ、皆さんどういうときに書きますか?書いていいんですよね?みたいな話題であれば「俺は書かネーよ。そもそも映画見て評価するのが基本だろ?書くべきじゃねーと思うな」とか「いや、でもすげーためになるコメントを読んだことあるし、無くなるのは淋しくね?」とか心おきなくいろいろな意見が出てきて、でもやっぱり最終的には見ないで書くのなんてダメ!てことにはならないでしょ。
こういう内容で書くのなら良いとか良くないとかは、主観でしかないし、そんなものは話し合いでどうこう解決のつくものではないでしょ。ろくでもないコメントならおkとかは私にとっちゃ正反対。ろくでもないものこそ俺は恥ずかしくて★0でなんて書けないし、他人のオナニ見せられてる気分。いや女性のなら見た・・・いや、それてる場合ではない。。。どっちかと言えば確たる視点を有した「見ないでコメント」こそ私は読みたい。危険だとか言う考え方も全く理解出来ない。多分これは話し合っても時間の無駄だと思う。★0コメントの内容によって良否判断をするのはナンセンスとしか言いようがない。
犬さん同様、誹謗中傷だとか著作権侵害だとか公序良俗に反するだとかのコメントに関しては別問題ですが。
Re: 見ないでコメント
水那岐2008年10月22日19時30分更新
いい加減続けるのも疲れてきたので、箇条書きでお答えすることをお許しください。
>炭酸飲料さん
間違っていないと思います。コメントを観て映画を観る気がしなくなる、という経験をする方がおいでなのは事実なので、コメンテータが慎重になることは必要であるとは考えます。
>peacefullifeさん
「あなたのコメンテータとしての信頼度が下がるだけじゃないか」というこちらの台詞を再三引用していらっしゃいますが、これに傲慢さを感じられたのならお詫びいたします。ただ無粋な自分とて礼儀を尽くすべき問いかけにこんな言葉は弄しません。このスレッドを立ち上げられた犬さんの、あまりの礼を失した問いかけに立腹して申し上げたまでです。まあ、犬さんのキャラクター自体を知ったあとでは諦めていますが。それでもお気に障られたのならごめんなさい。
ろくでもないコメントは、ごく真面目にコメントをなさっている方からすれば「アホ」にしか見えないのは承知の上です。ただその存在自体を否定されたとすれば、同様の多数のコメントを否定することになり、息の詰まりそうな閉塞感が漂うのは否めません。アホだといわれて腹を立てる気は毛頭ありませんが、自分としてはオナニー上等、誹謗よりはマシと思っています。
そう、問題は誹謗なのです。自分とて観ていない作品に普通の印象をめぐらせる、そんなことにトサカを振り立てるほど偏狭ではありません。「観ていない」と明言された上で誹謗なさっていたことにフェアでないものを感じたのです。そんなことで自分のスタンスを左右されるほど我々は脆弱ではないでしょうが、人によっては小さなその作品への期待を打ち砕かれることもあるかもしれない。それを案じたのです。もちろん、鑑賞した上で完膚なきまでに批判するのは自由です。しかし誹謗中傷を観ないですることを、例えばpeacefullifeさんは許容されますか?自分の言いたいことはそれに尽きるのです。犬さんのお言葉に同感されるなら、お判りいただけると思うのですが。
Re: 見ないでコメント
uyo2008年10月22日21時30分更新
おさわがせいたしております。件の拙コメントを、プロフィール欄に掲載いたしました。
今後のマナー、モラルに関しまして、多少なりともご参考にしていただけますと助かります。
どうぞよろしくおねがいいたします。
Re: 見ないでコメント
2008年10月22日22時03分更新
 私はけにろんさんが言われた「見てもいない映画にコメントするなんて無責任」という言葉に賛成です。ですので私自身、観ていない映画にコメントはしていません。稀に、自分が観ていない映画のレビューに投票したりすることはありますが、それはそのレビューが映画の内容に直接触れていない場合などだけです。
 
 上記をふまえて、水那岐さんにお伺いしたいことがあります。水那岐さんは「酷評なさりたいならまずご覧になってください」とおっしゃっていますが、では例えば『松ヶ根乱射事件』のこの0点コメントはどのように説明して下さるのでしょうか。
 
「駄目だ、異臭が漂ってくるような醜悪さに一時間もたたずに脱落せざるを得なかった。やはり自分は山下敦弘の総てを支持することは到底無理であることを思い知らされた。そして田舎の空気に息が詰まりそうになることも。」
 
 これは普通の日本語として読めば、松ヶ根〜の全編を見ていない上に、水那岐さんの忌み嫌う誹謗中傷コメントともなっています(“異臭”“醜悪”はもちろん、いわゆる“田舎”である地方在住の方に対しても失礼です)。これは『ファンタスティック・フォー』以上の矛盾ではありませんか。
 
 ただ一方、水那岐さんは「私も“観ないで”コメントを書いたときにはレンタルでものちに観るようにしています」ともおっしゃっています。ですからもしかすると上記のコメントの後、『松ヶ根乱射事件』をレンタルして全部見た可能性はあります。しかしそれを言うなら、とりこさんも同様に、件の0点コメントを書いた後、ちゃんとレンタルなどで本編の映画を観るかもしれません。そういうことに水那岐さんは思い至らなかったのでしょうか。私が疑問に感じるのは水那岐さんのこうした二重性です。ご自分では0点コメントを書かれているのに、他人の0点コメントを批判しても説得力がありません。
 
 水那岐さんはまた、0点コメントについて「別の点数ワクがどんなに膨れ上がっても消えることがない」、ゆえに慎重に書くべきだ、という論を展開しておられますが、これもまた不可解です。シネスケでは、5点から0点までの点のうち、“それぞれの点ごとに”もっとも投票数が多いコメントがトップに表示されます。そういうシステムなのです。0点だからとかそういうことは関係ありません。例として、人気映画ランキングトップの『バック・トゥ・ザ・フューチャー』をご覧になってみて下さい。5点や4点はなるほど確かに投票数が多いコメントの激戦区になっていますが、2点以下のコメントは投票がほとんどないにもかかわらずまだトップ画面に残っています。0点のコメントもただそれと同じ扱いだというだけです。
 
 舘村さんの書かれた「採点の目安」では、0点というカテゴリについて言及されていません。なので0点というカテゴリが何ゆえに設けられたのか私には分かりません。しかし0点コメントは全体の評価に影響を及ぼさないので自由なコメント欄と言えます。逆に、「(見てないけど)テーマが嫌だから1点」や「(見てないけど)役者が好きだから5点」といった旨のコメントを書くことは十分可能ですし、見抜きづらいぶん0点コメントより性質が悪いかもしれません。
 
 今回の水那岐さんの場合、「酷評なさりたいならまずご覧になってください」といきなり命令口調だったのが、“検閲”と受け取られた要因の一つだったのでは。よほどのマナー違反なら別ですが、他人のコメントにあれこれ口出しするのは極力避けるべきだと思います。文面での警告は、書いた本人が思っている以上に攻撃的に受け取られがちなものですから。特に個人的なメールでの注意はやめた方がお互いのためですよ〜(と最後に書いておく)。
Re: 見ないでコメント
水那岐2008年10月22日23時26分更新
まず、とりこさんにはお詫びせねばならないと思っています。申し訳ありませんでした。もとより最初の終結宣言でこの議論は終わりにするつもりでしたし、自分としてもそこまでとりこさんが酷い文章を書いていらっしゃるのでないことは知っていたのですから。全てここまでズルズルと引き摺らざるを得なくなったことは、「律儀に」その後の回答をし続けた自分の責任です。今更ですが、コメントをご自分のページでなく映画のページに移動されることがとりこさんの本意であるなら、そうなさって下さい。自分はとりこさんの口を封じるために発言を続けたのではないのですから。 その上で、薪さんのご意見にお答えします。自分は、『松ヶ根乱射事件』を一応その後最後まで観ております。その上で敢えて文章を書き換えることはしませんでした。理由としては観終えた後の嫌悪感は変わっていなかったゆえでもあり、世界に溶け込めなかったせいです。ただし、自分は「誹謗」ととられても鑑賞後の意見は否定しない、とのスタンスに立っており、その意味では書き換えはしません。「異臭」「醜悪」というのは映画世界の空気に感じたものであり、「登場人物の●●の顔はブスだ」といった無責任な悪口レベルで書いているつもりはないからです。ただし、「田舎」は確かに誤解を招く単語だったことは否めませんね。あとで修正します。 ただ、とりこさんの発言については「大きく期待する」という意味のことを何度となく繰り返してきたことを見落としておいでではありませんか?それは今も変わらないつもりです。 また、1点や2点については触れるまでもないこの場の常識として敢えて触れなかっただけです。その上で、0点を「点数をつけることができない作品(それにはさまざまな理由がありましょうが)」扱いとして特別の位置と考えておられる方々もおいでです。それも考慮してのこととご理解ください。(もちろん、1点や2点を観ていないことの言い訳にする態度は、自分も大いに嫌悪することではあります) 最後のお言葉は、素直にご忠告としてお受け取りしましょう。 (水那岐)
Re: 見ないでコメント
movableinferno2008年10月23日01時04分更新
 わたしのひとつ前の書き込みで犬さんの誤解を招いてしまったようですが、わたしは水那岐さんからとりこさんへの最初の呼びかけだけに関連して犬さんへ反論したのではありません。水那岐さんの一連の書き込み全体を通して、それを「検閲」や「排除」だとは考えていません。
 「誹謗中傷・著作権侵害・公序良俗に反するなどのいわゆる【悪質な書き込み】」に対して線引きを設けることについては、このスレッドに書き込んでいる方をはじめとして、シネスケを利用しておられるほぼ全ての方が賛成なさることと思います。では、その「線引き」が許されて、水那岐さんの「線引き」が許されないのはなぜでしょうか?もしくは、著作権侵害のように法律に照らして正解が得られうる事象は別として、当該コメントが誹謗中傷か否か、公序良俗に反しているかどうか、などを「線引き」せずに、どうやってそれに「対処」するのでしょうか?
 水那岐さんの線引きが許されないのは、水那岐さんが管理者ではないからだ、という意見があるかもしれません。その通り、水那岐さんは管理者ではないので線引きを「する」権限はお持ちではありません。水那岐さんも犬さんもそれぞれ仰ったとおり、いちユーザーに線引きを「(強制)する」権限などないのです。だったら、それを「検閲」だ「排除」だと煽り立ててことさら警戒する必要がどこにあるでしょうか?たしかに水那岐さんは今回「線引き」を「試み」られました。犬さんはそのことを非難されますが、わたしはそれに賛同しません。「線引き」は大いに「試み」られて良いと思っているからです。「言論の自由」に基づけば、全てのコメントは許容されるべきです。だからといって【悪質な書き込み】が横行しては困ります。ですから「線引き」は必要です。誰しもが【悪質】と評価するものについてその「線引き」は問題になりません。それだって立派な「線引き」ですが、そのことを意識せず「大人の常識」と言って安穏としていられます。しかし、「誹謗中傷」や「公序良俗」の線引きは決して自明のものではありません。なのに、今回のように、「誰しもが自明だとは思わないから」という理由で、一部の方が「これは問題があるんじゃないか」と思ったものに対する「線引き」の「試み」は「排除」されるべきなのでしょうか?
 もし犬さんが、このスレッドの二つ目の書き込みをなさらなければ、わたしはこの議論に参加しなかったかもしれません。水那岐さんの「線引き」の試みに対して犬さんが「線引き」を「し直す」ことを試みられるのは当然、むしろ大いに実践されるべきだからです。しかし犬さんの「真意」がどうであれ、あの書き込みは印象操作や誹謗中傷としてしか機能していません。犬さんにとってはそれが「読み間違い」だとしても、状況の読みとしては間違っていないと思います。
 水那岐さんが引いた線に異論があれば、とりこさんが線を引きなおせば良いじゃないですか。犬さんでも誰でも、思うところがある人は線を引き直せば良い。線は引き直すことができるじゃないですか。わたしがひとつ前の書き込みの前段で書いたのはそういうことです。そして、そうやって話し合うことが無駄だとはわたしは思いません。まして、誰かが最初の線を引くことを「検閲」や「排除」だなんて思いません。だって、自由の上に成り立つルールってそうやって作ってゆくものではないのですか。
 わたしが問題にしている犬さんのやり方は、誰かが「おかしいな」と思ったことに対して声をあげることそのものを押さえ込む可能性があるものです。何か声をあげても、それを印象操作や誹謗中傷で封じられるなら、言うだけ損です。そして、「言い損」のコミュニティは、意見の表明なしに空気で物事が決まる爛れた場になりはしませんか。ですからわたしは「言論の自由」に対して抑圧的、とまで書きました。
 (勘違いなさっている方もいらっしゃるようですが、水那岐さんはもとより、とりこさんのコメントに対して「★0でコメントをつけるな」とか「くだらないから消せ」とか仰ったのではありません。ですからそこは論点になりません。また、「観ないで書いたコメントを消せ」というよりは「そこまで書くなら観てください」という論調だったと思います。そこは斟酌していただいた方が建設的だと思います。)
Re: 見ないでコメント
林田乃丞2008年10月23日03時09分更新
 はじめまして、林田です。今日初めて、とりこ様のコメントを拝見しまして、ちょっと思うところがありましたので新参ながら意見を述べさせていただきたいと思います。皆様の議論を興味深く眺めていたもので、とりことやら(失礼!)がどんだけ公序良俗に反した誹謗中傷コメントを書いたのかと思っていたのですが、その内容を見て少々驚いたもので。movableinferno様のおっしゃる「線引きをし直す」というのを、私なりに試みてみようかと思いまして。
 かつて『バトルロワイヤル』という映画が公開されたときに、国会議員が「見ないでコメント」したことがありました。そのコメントはたいへん否定的なもので、映画ファンから「見てから言えよ」という声が相次いだのを憶えています。そうした声が起こったのは件の発言が国会議員によるものであり、ともすれば国家権力による映画という文化への介入にもなりかねないという危惧があったからだと思います。
 この『コドモのコドモ』という作品は(私は見てませんが)、各マスコミに取り上げられ、大きな話題になりました。秋田県では「上映させない」という話もあったとかなかったとか。『靖国 YASUKUNI』でも似たようなことがありました。
 ここで、今回とりこ様のコメントを拝見して考えたのは、「映画は、いつから映画か」ということです。力のある映画は、生れ落ちた瞬間に社会に対して影響力を持つと思うんです。それは「ある作品が公開される」という事象が、映画を観た人だけでなく、観ていない人や観るつもりもない人にまで影響を及ぼす可能性があるということです。今作品を観ていない人、観ない人の中にも「14歳の女子児童が妊娠する映画が公開される」という事実を知っている人はたくさんいます。そして、「そんな映画が公開されるなんて良いことだ」と思う人もいれば、「悪いことだ」と思う人もいるでしょう。それは「ある映画の公開」という事象が単に映画ファンだけのために催される「興行」ではなく、いまだ一般的な訴求力を備えた「社会的な事件」として捉えられているということです。映画が不況だなんて話を聞きますが、やはりまだまだ大きなメディアとして社会に浸透している証左だと思うんです。
 たとえば鳥肌実が日比谷の野音で何を叫ぼうが、社会に影響はありません。それを排除しようとする国会議員や行政機関もないでしょう。映画はまだ、そこまでマイナーにはなっていない。メジャーなメディアとして、社会に「恐れられている」し「期待されている」ということです。
 ましてやこのサイトを利用している方々は、ほとんどが映画ファンのはずです。世間一般の人々よりもずっと映画が好きで、映画の力を信じている人だと思います。だからこそ、「ある映画の公開」という事件が社会に何らかの影響を与えてしまうのではないか、という懸念を敏感な姿勢でもって書き記すことは、「作品に対する意見」として決して目測を誤ったものではないと思うんです。
「映画の内容以前に、こうした筋立ての映画が、こうした筋立てであることを大々的に宣伝された上で世間に公開される。そのことに対して、私はこう思う。」
 今回のとりこ様の発言には、映画の公開を妨げるような権力の後ろ盾はありません。脊髄反射的なヒステリーでもなく、きちんと論拠を示した意見です。
 私は、内容に突っ込んで解釈に頭をひねるばかりが映画批評ではないと考えます。今回のとりこ様のコメントのように「映画というメディアは、観ない人にも影響を与えうるんだ」という、映画と社会との関係性にまで踏み込んだコメントだって、傾聴に値する貴重な意見だと思うんです。
 その意味で、私は犬様の「見ないでコメントしたって別にいいじゃないか。」という意見に、一字一句賛同するところであります。その「観ないでコメント」に対して何を思うかは、利用者それぞれが考えればいいことです。映画に対する先入観を与えられたくなければ、観ていない映画のコメント欄なんか開かなければいいし、ネット回線なんて抜き去ってしまえばいい。ネットリテラシー的なことを言ってしまえば、情報の取捨選択は完全に自己責任に委ねられるべきでしょう。★1の「観たコメント(ネタバレなし)」だって、その作品にネガティブな先入観を与えるには充分なはずです。そのコメントが信頼しうるものか傾聴に値しないものかを決めるのもまた、それぞれのユーザーです。内容を吟味するなり、書き込んだコメンテーターの他の作品への批評を参照するなりして、自分で決めればいい。
 そんなこんなで、私個人的な感想を述べれば、とりこ様の意見が『コドモのコドモ』のコメント欄から消えたことをたいへん残念に思うです。異論は認めます。
Re: 見ないでコメント
2008年10月23日14時36分更新
>水那岐さん
お答えいただきありがとう。批判するにしろ賞賛するにしろ、見ないで評価するのがダメというわけではなく、熱く語っちゃいけないんですね。見るほうに先入観を与えるから警戒が必要だと。そのことの当否はともかく首尾一貫してることは理解しました。
さらにご自分のコメントに対する言及から、後でビデオなりでフォローすれば見ないでコメントしたことにはならないのも分かりました。時間軸を超えたファンタスティックな世界観ですね。言われてみれば成る程だけど、他人には伝わらないと思う。
あ、お返事はいいですよ。犬もいい加減疲れてきましたから。
Re: 見ないでコメント
2008年10月23日14時42分更新
>炭酸飲料さん
そういうことで合ってます。横槍とか気にせず、いろんな人が「見ないでコメント」をどう感じているのか言えばいいと思います。
Re: 見ないでコメント
2008年10月23日15時19分更新
>movableinfernoさん
何が誤解なのかよく分からないんですけどね。水那岐さんがさかんに酷評と言うのに引きずられて、言いたいことがごっちゃになってません? 字が多すぎると分かりにくいから整理しますね。
・見ないでコメントは駄目な理由として水那岐さんは自由が封殺されかねないと言ったと思うんですが。違いますか?
・それを踏まえて、言論の自由の観点からはどんな意見も排除できないと言ったのですよ。それを排除しようとするのは検閲に等しいと。
・問題はこれだけです。誰の線引きが許されて誰の線引きが許されないなんて言ってません。そもそも線引きできないんです。
・線を引き直すも何も、ここで話題になってるのは見たかどうかということでしょ。
・あらかじめ反論と書いたのも、それは言論の自由とは別問題だと念を押したんです。
Re: 見ないでコメント
水那岐2008年10月23日15時24分更新
>犬さん
お互い疲れているのが判っていらっしゃるなら、これ以上煽るのはやめてください。正直迷惑です。誤読じゃなく、根拠のない曲解をした上でおまえは俺様に反論するな、というのは卑劣でしょう。
これ以上とりこさんにご迷惑をおかけしたくはないのです。自重して下さい。
Re: 見ないでコメント
2008年10月23日15時35分更新
いや、別に反論したっていいですよ。疲れてきたっておっしゃるから気を使ったまでで。
煽りだと思うなら無視するのがいいと思いますがね。
Re: 見ないでコメント
IN4MATION2008年10月24日16時37分更新
全くの横レスで失礼とは思いながら・・・。ならばいっそ、★0は観ないでコメント専用と解すればいいだけの話では? 全体の平均点に影響を与えないのであれば、それが一番だと思いますが。実際に観て、つまらなかったのなら水那岐さんも★0からコメント内容を変更せずに観た人の下す最低点★1に採点を変更すればいいだけの話です。
法律の世界では、拡大解釈を招くよりも立法論や法改正の方が相応しい場合もあります。
★0は観ないでなされているコメントである。と万人が理解できる表示があればこんな議論にはならなかったのではないでしょうか。
ココからは蛇足的な話題ですが、僕は観てない映画でもレヴュアーさんのコメントが文章として素晴らしい場合は投票しています。
これはある意味で、映画を観てもいない僕の1票が他の方に「このコメントは的を射ている」と表明している意味に於いては、してはいけない行為に該当するのですかね?
最後は単なる素朴な疑問ですので、聞き流していただいて結構です。
Re: 見ないでコメント
uyo2008年10月24日19時36分更新
>犬さん
私自身には、まだそれほどの迷惑はありませんので、どうぞお気遣いなく。
*
ことのはじめに、水那岐さんからのご意見を受けた理由としましては、くりかえしになりますが、話がこじれ、これから先、良質な「観ないでコメント」を書きづらくなる方が増えることを心配したことと、もうひとつ、水那岐さんのサイトへの活動に対して敬意をはらったところがあります。
映画館に足を運び、登録リクエストを書き込み、あらすじを推敲し、と言うことを繰り返すと言う、労力を多く払っていらっしゃると判断しております。
これからも映画鑑賞へのモチベーションを下げられませんよう。
あと1つ、どうか、あの映画を鑑賞することを、私に要求する発言はなさらないでいただけますと、個人的に助かります。
以上です。お返事は結構です。^^
Re: 見ないでコメント
水那岐2008年10月24日20時56分更新
>IN4MATIONさま
ご意見、一聴に価するものでした。有難うございます。自分もフレキシブルさを些か失っていたようですので、どうぞご自分の信じられる「正しさ」に従って行動なさってください。
>とりこさま
お申し越しの件、了解いたしました。これからも馬鹿な男の妄言に心動かされることなく、のびのびと映画体験を楽しまれますよう。以上、余計ですが申し上げたかったので返答をお許しください。

そんなわけで、まだこの件について発言されたい方もおいでかもしれませんが、自分としては先述の理由で信念をもって回答しませんので、お含みおき下さい。
Re: 見ないでコメント
2008年10月25日02時23分更新
>とりこさん
ありがとうございます。当事者としてきちんとお考えを示されたこと感謝しています。
*
いちいちお名前を挙げませんが、「見ないでコメント」についてご意見をくださった皆様ありがとうございます。
これという結論は出ないかもしれませんが、ここは気軽に意見交換する場とご理解いただければと思います。
*
あたらしく参加された方はあきれてらっしゃるかもしれませんが、生まれつきお節介なので「?」と思うとつい口に出してしまうんですよね。口の悪いのはすみません。
この話題のメッセージ: 最初←[1 2]→最新 / [最新の5 件]