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[コメント] 半落ち(2004/日)

曖昧な主張でお茶を濁す優等生的な主題へのアプローチと、半端な咀嚼で未整理なままの凡庸な脚本を、一切無視するかのように最後まで飽きさせずに見せきってしまう強行な演出。深作欣二の後を継ぐオールマイティ娯楽職人は佐々部清監督かもしれない。
ぽんしゅう

デビュー作『陽はまた昇る』でも感じたことなのだがクライマックスとして佐々部清監督が仕掛ける「泣きのパート」にはどこか乾いた感覚がある。というよりも降旗康男杉田成道といった手馴れた監督達による泣きを前提にした叙情映画に比べて映画全体が乾いているといった方がよいのかもしれない。

観客が涙するスチュエーション自体にはおそらく差はなく、その違いはクライマックスへ至るまでの演出姿勢にあるのだと思う。降旗や杉田が映画全体のトーンをあくまでも「客の涙」へ向けたベクトルで 進めるのに対して、佐々部は最後まで「客の涙」とその前提となるパートを分断して撮ろうとする。

陽はまた昇る』で描こうとしたものは目標に向って苦悩するビジネスマンの懸命な日々の思いであり、この『半落ち』でも佐々部が注力するのは警察官、検察官、新聞記者たちの日常の延長線上に存在する職務としての葛藤である。どこにも「客の涙」を意識した形跡が見当たらない。

それはまるで端からそんなものに関心が無かったかのようであり、「泣き」など映画的娯楽の中のほんの一つの要素にしか過ぎず、それだけでは映画は撮れないとう確固たる信念を持ってさえいるように見える。その結果、平成の『砂の器』を期待し映画館へ足を運んだ観客は肩透かしを喰うのであるが。

佐々部清監督の製作姿勢には、娯楽映画に必要なものと不要なものを本能的に嗅ぎ分ける職人的バランス感覚と、それを実践で示せるテクニックの存在を感じる。現在の日本映画の一端を担う阪本順治監督と同年齢の遅れてきたこの才能が、もう一つの端を担えるかどうか注目していきたいと思う。

(評価:★3)

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