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[コメント] その男、凶暴につき(1989/日)

その怒りは、暴力となって表れる。---その前に沈黙なって表れる。現実離れした派手なアクションがなくても、映画的な手法によって迫力あるシーンが撮れることを、たけしが証明した。
空イグアナ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







本物の暴力を知っている人間が作った映画だ。

ロッカールームでの対決。カメラに向かって拳銃を向けるたけし。この緊張感。

目を閉じてうつむくたけし。ロッカーに置かれたナイフを白竜は見付ける。そして、たけしの背後に隠された拳銃。

派手なアクションもなければ、それを盛り上げる音楽もない。それでいて、この緊張感。

ナイフを見付ける、白竜の視点。罠を仕掛けた、たけしの視点。そして、この2つの映像をつなぎ、その両方を見ることができるのは、観客の視点だ。これは実に映画的だ。派手なアクションも音楽も使わず、映像の力だけで、緊張感あふれるシーンをたけしは見事に作ってみせた。

クライマックスでは、静かな映画だけに、銃声が際立つ。それまでの静けさは、すべてこのための伏線だったのではないかと思えるほどだ(たけしは優れた映画にBGMは不要とまで言い、この後も静かな映画をつくり続けているから違うだろうが)。銃で撃たれても黙って迫ってくるたけし。ここは現実離れした演出だが、クライマックスという最大の見せ場であるだけに、それも気にならない。凄い迫力だ。

前半で、刑事・たけしの型破りっぷりを紹介しつつ、覚醒剤事件を展開させていき、最後には、冷血な殺し屋・白竜との最終決戦でクライマックスを迎える。音楽、説明を最小限にし、独特の演出で映画の解体を図ったともとれるが、一方で、軸はダークヒーローVS悪役という、ありきたりなストーリーだ。おさえるべき基本は、しっかりおさえている。だからこそ、破綻せずに面白い映画に仕上がっている。

   * * *

さて、たけしは本物の暴力を知っている、と書いたが、それは目に見えるアクションだけの話ではない。たけしは、その暴力のもととなる人間の心理を知っている。

以前、友人が話していた。その友人は別の友達と、テレビで報じられた事件を話題にしていたそうだ。妻が夫を殺害したという事件だった。その友人の友人は「そんなに嫌な夫なら、離婚すればよかったのに。」と言ったそうだが、その人は僕に「でも、人間の心理って、そんな単純じゃないよね」と言った。

同感だ。「悩む」というのは、そういう判断がつかなくなることを言うのだと思う。

離婚するためには、離婚届が必要だ。それを手に入れよう。必要事項を記入しよう。そして提示しよう。相手の反応は大体、予想できる。こちらは、このように返そう。法律の専門家にも協力してもらわなければならないだろう。

こうした冷静な判断ができない状態を、悩むというのだ。普段なら迷わないような選択で迷ってしまったり、すぐに思い付くはずの選択肢が思い付かなかったりする。離婚したいと言い出せば、彼はまた乱暴な態度で応じるだろう。離婚しても、彼は悠々と生き続けるだろう。許せない。そうしたネガティブな感情によって、殺そうという突拍子もない結論が出て、しかも実行してしまう。

殺意とまではいかなくても、人はみんな複雑な人間関係の中で、こうした感情と戦っている。相手をぶん殴りたい衝動を抑える。怒鳴りつけたいのをこらえて、穏やかに話す。あなたの気持ちもわかるが、そのようなことをされては、私も迷惑だ。ときには自分が正しい、間違っているのは相手だと思いながらも、自分が悪かったと頭を下げる。 そうした対応で表面上の事態は解決する。事態は解決しても、胸の内のムシャクシャした感情はおさまらない。だから別のところで(例えばバッティングセンターで)、ストレスを解消する。

この映画の主人公である我妻は、明らかにそうした対応が下手な人間だ。

上司から呼ばれても、すぐには出向かない。「面倒くさいねえ。」と言って立ち上がり、「いやあ、叱られちゃったよ。しかし、あの人も、性格悪いよな。」と言って戻ってくることができない。厄介ごとを軽い調子で流せない。あれだけ凶暴な面をむき出しにし、乱暴な言葉を吐いている一方で、愚痴を言うのが下手なのだ。

だから彼は何度も沈黙する。

感情をうまく言葉にできないからだ。(表現力の不足か、それとも周囲との関係を保つためにあえて表に出すのを控えているのか) 次にどう行動すべきか、すぐに判断がつかないからだ。彼は凶暴だが、闘牛のようにまっしぐらに走るのではない。悩んでいる。そしてそのストレスは、バッティングセンターなどでは到底解消できない。

そして彼ほど要領が悪くなくても、人は日々こうした感情と戦っている。だから、観客は彼に共感する。自分の中に我妻と同じものがあることを知っている。

白竜との対決に決着がつき、妹が悲惨な姿を見せたとき、我妻は誰よりも大切に守ってきた彼女を殺してしまう。彼にとっては、それが最良の結論だったのだ。このラストこそ、人間の凶暴性を描いた、本当のクライマックスだ。

その直前の沈黙。顔がアップになる。その目は赤く充血し、涙が浮かんでいるようにも見える。しかし彼は呆然とした表情のまま、泣くことができない。不満を吐き出すのが下手な彼には、それができない。

もし彼が、人目もはばからずに(人気は感じられない場所だが)おいおい泣いていたら、別の判断をしたかもしれない。泣くという行為は、すごくすっきりする。ある意味最高のストレス解消法だ。怒るのと、泣くのとは、根底では同じだ。どちらも不満を吐き出す行為なのだから。

たけしは本物の暴力を知っているというだけではない。題名にある、人間の凶暴性を、的確に捉えている。

(評価:★4)

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