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[コメント] ロスト・イン・トランスレーション(2003/米=日)

異物が蠢く新宿を、膝をかかて遥か眼下に見おろして、女はまるで行き場をなくしたカゴの鳥。ソフィア・コッポラの脚本と演出は以外にも論理的、というか図式的。臨界点すれすれのイメージの洪水的映画を想像していたのだが。まあ、それは良しとして・・・
ぽんしゅう

もっと驚いたのは、自分にとってまったく違和感のない東京。

異邦人ソフィア・コッポラがトランスレーション不能として描く東京の日常が、あまりにも自分にとって自然だったことに困惑してしまった。日々、目にする風景だから、私の感覚にしっくり馴染んだという意味ではない。ボブ(ビル・マーレー)が、疎通不全の象徴としての東京にいだく違和感と同じ種類の壁を、私もまわりの世界に感じているという意味でだ。

私にも、不誠実な仲介者のために仕事相手の真意をはかりかねることがある。ゲームに興じる若者が無気味に見えることがある。何故、パチンコ店がこんなに街にあふれているのか理解できない。僧侶の唱える念仏が心に響いたことなどない。エレベータの中の人の顔がみな同じに見えることがある。カラオケルームの馬鹿騒ぎに虚脱を感ることがある。ビルの壁面から発せられる光や音の洪水に不快をもよおすことがある。和服姿の婦人たちの、時間つぶしが文化つぶしだと感じるときがある。あげくのはてに、家になど電話するのではなかったと後悔したことがある。

眠れぬ夜を過ごし、目に見えぬ壁を感じつつ一日の時を過ごし、そして喧騒をぬけて天高くそびえるホテルの一室でまた眠れぬ夜を過ごすボブの縦移動の生活。私だって同じだ。新宿から西へと伸びる電車に揺られ、都会の喧騒が届かぬベッドへと日々横移動を繰りかえしているだけだ。

この作品のテーマが大都会東京ではないということは明白なのだから、疎通不全の舞台としてソフィア・コッポラが東京を選んだことが、ある種の普遍性を作品に与え成功しているのかも知れない。そう思う反面、私が得た寂寥感をともなう感動は、あくまでもソフィア・コッポラが切り取った東京と、私の日々の不安が偶然シンクロしてしまっただけなのかも知れない。だとしたら、作品の真意が、ねじまがって私に伝わっていることになる。

とても好きな映画なのに、この点数しかつけられないのは私の混乱のせいだと思う。

(評価:★3)

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