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[コメント] フィラデルフィア(1993/米)

対象が何であっても、「偏見」に対するのは「正義」ではないと思う。むしろ真逆。その人にとっての「正義」そのものこそが、いつでもまさに強い「偏見」を生んでいる。では本来「偏見」に対する物は何か?
uyo

では「偏見」に対する物は何か?と言えば、陳腐だろうがなんだろうが、やはり「愛」だと思います。相手の事が好きである、と言う事。「愛」は「理解」と「知性」を生む。スタッフが病に冒されているとわかった時点で、雇用者はその病に関して知識を得る努力をし、本人と直接話し合うべきだったと思います。

この映画は、エイズの話やゲイの話や黒人差別の話というよりも、多くの人が持つ全ての「偏見」と、真実の意味で「愛ある正義」についての話だと思います。

だからラブシーンも、闘病のシーンも、必要最小限なのでしょう。それよりも多いのは、家族や友人や恋人との「共にある」シーン。あそこに「愛」がある。「自分を見ろ(愛しあおう)」と、恋人は言う。

この映画では裁判の争点が、「エイズだとは知らずに解雇したのなら罪にはならない。本当に知らなかったのか」と言う所でしたが、日本だと「死に至る伝染性の病にかかっていると知って、いきなり解雇したのは是か非か。」と言う論点になるような気がします。

最近、「ゲイは子供を産めないから、いけない事でしょう、だから人はタブーとして、のぞき趣味の好奇心でゲイ物の作品を観るのよ」と言われた時には、絶句しました。子供の出来ない夫婦にも、同じ事を言うのでしょうか。けれど、他人の偏見は、本人が変えなければ変える事は出来ません。

周囲の多くの人たちが、自分の「社会における」精神的な安定を求めるためや、なけなしの「ステイタス」のために、意識的に恋愛やセックスや結婚や出産をしている姿ばかりを見ていると、愛する事がすなわちリスクであるゲイの恋愛は、より「愛」そのものに近い気がします。まさに「私は愛」です。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (7 人)IN4MATION[*] shu-z 直人[*] ろびんますく スパルタのキツネ[*] けにろん[*] ジャイアント白田

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