[コメント] ゆれる(2006/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
兄さんは、とんでもないものを盗んでいきました。それは弟くんの心です――ただし、甘くない意味で。
そもそもこの映画は、“いろんな意味で持てる男”@“田舎は地獄”って話です。彼、弟くんが母の法要で強制送還され、VSすることになったのは、特定の誰かではありません。父でもなければ、彼女でもなければ、兄でもない、そういう家族という直近から境界線なしに際限なく広がりえんえんと自分にへばりついてくる故郷の粘着そのものです。
普段の彼はそこから軽やかに逃げ、兄が言うところのすばらしい人生を送っていました。そんな彼にとって、彼女は一発やりたかっただけの相手であって、それが自分にへばりついてこようとすると、あわてて振り払います。おいおい俺はそれ御免なんだよ、と。
しかし、それが兄のケースで一変してしまうことで物語が始まります。それまでアニキに押しつけておけばよかった粘着と真っ向から対峙することになり、他人事だった家族や家族の周囲、イナカの生活と、そして遺族をふくめた彼らの心と無関係でいられなくなってしまったのです。そう、この時点で彼はすでに奪われかかっているのです。
裁判の勝利目前、最後の最後で兄さんに挑発されて、弟くんは何で兄さんを突き落としたんでしょうね? 本当の兄さんを取り戻したかったから? ここには幾重の言葉と心の綾があって、まずその最たるものが、彼が対峙していたのは何だったかという問題です。
ここは大変重要で、彼がそもそも戦っていた相手は兄さんという特定の人物ではなく、田舎の粘着という巨大な怪獣だったはずです。そうして書割にすぎなかった田舎者たちの心をようやくようやく感じ始めた男が、ここにきて、兄さんという“たかだか一人”への想い故にすべてをひっくりかえしてしまうことの違和感、それによって他の人々の感情がさらに蔑ろにされてしまうことの違和感――これが心理描写の失敗でないとしたら、なんと解釈すればよいのか……私は「彼は、裁判に勝てば、この粘着と永遠に無関係でいられなくなる――そう思い、理解しかけてしまった田舎者たちの心を再び投げ捨てたかった」んだと思います。美辞麗句をもって。
でも、逃がしてはもらえませんでした。七年後、蔑ろにした者の一人が、過去を運んできたのです。そうして彼は兄のもとへ、否――再び故郷へ。捨てたはずのものは、捨てようとしたことにより、より強固に自分の心にこびりついていたのです。そして――
兄ちゃん、帰ろうよ、家族のもとへ!
気がつけば、家族と故郷の側に立たされていたのは弟で、それを捨てる自由を手にしていたのは兄さんの方でした。それは、彼が七年の刑期を買うことで、必然的に奪いとった権利でした。思えば、弟の証言を見つめる兄の眼には、その確信があふれていました。
……変な解釈かもしれませんが、少なくとも私は、弟が美辞麗句で逃げたんだとしても、兄が弟をはめたんだとしても、心無い行為として彼らがそうしたんだと思っているわけではありません。むしろ逆で、心あるからこそ……家族も故郷も大切で、でも、ときに誰かの心を裏切って利用してでも逃げ出したくなる感情もありえるんだろうな、と思うのです。
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