[コメント] 今宵、フィッツジェラルド劇場で(2006/米)
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ヨランダ(メリル・ストリープ)は娘に言う。「自分の身に起こったこと全てに感謝しなさい。何故なら、楽しいことも辛いことも、全部あなたの経験として活きるのだから」。何と楽天的なこと。このセリフに象徴される人生の全てを肯定してしまうような、いかにもアメリカ的な発想でロバート・アルトマンは作品全体をユーモアと優しさで包み込む。
もちろん、アルトマンは不気味な緊張を作品の中に仕掛けることも忘れない。前半の楽屋や舞台裏でさりげなく、しかし頻繁に映し出される鏡。そして、劇場の保安係りノワール(ケビン・クライン)の机の上の鏡の中に、忽然と現れる白いトレンチコートの美女(バージニア・マドセン)。ステージ裏を徘徊し始める美女を、誰もとがめたり止めたりぜず受け入れる。いつ、誰に訪れるやもしれぬ平等な死の予感。
放送局を買収した首切り人アックスマン(トミー・リージョーンズ)の「あきらめて止めるからこそ、次に新たなことが始められるのだ」と言う言葉もまたひとつの真理だろう。しかし、彼が次に目論んだ新しいことは、彼の死をもってあっ気なく幕を閉じる。いつかは訪れる、そして次にはもう何も始まらない永遠の終わり。彼は、その全ての終わりをどのように受け止めたのだろう。
ミュージシャンたちは、劇場が閉じることなど意に介さず歌い続ける。彼らは知っているのだ。劇場がなくなり、番組が消えることが自分たちにとっての終わりなどではないことを。彼らにとっての終わりは、歌うことを止めたとき初めて訪れるのだ。たとえ歌う場が消え、聴く者がだれ一人いなくなったとしても、彼らは死を迎えるそのときまで心の中で歌い続けるのだろう。
何故なら、彼らはずっとそうしてきたし、死がいつの日か全ての人に平等に訪れることを知っているのだから。人生においての「ベテラン」とは、そういううものだとアルトマンは言っているのだ。こんな大らかさと達観に溢れた作品が遺作になるなんて、アルトマンという人は実に素敵なアメリカ爺さんじゃないか。
最後になったが、メリル・ストリープをはじめリリー・トムリン、ジョン・C・ライリー、ウディ・ハレルソン、意外やL・Q・ジョーンズも、そしてギャリソン・キーラーらの見事な歌いっぷりには感服した。
ロバート・アルトマン監督のような反骨の才人は、アメリカの映画界にはもう現れないのだろうか。心より、ご冥福をお祈りします。
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