[コメント] 純喫茶磯辺(2008/日)
意外な拾い物。言葉の選択も会話の呼吸もよい。この映画の負の中心であるヒロイン麻生久美子に、濱田マリと仲里依紗を加えて、成瀬ばりの三世代女性映画として見る事も可能だ。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
商店街の喫茶店はかつては常連たちの社交場だった。宮迫博之と仲里依紗の父子家庭も今となっては日常の風景だ。地域共同体も温かい家庭も失われた現代に新たに現れたのが、楽な方向に流れて生きている麻生久美子という若い女性だ。
彼女の不実なキャラクターは中盤には誰の目にも明らかになるのだが、序盤から人物背景の読めない謎の女として登場しているのは演出力の賜物である。彼女が元凶となり、ささやかながらも複雑な人間関係の渦が巻き起こる。
吉田監督は、誰彼と分け隔てのない慈愛の眼差しでこのドラマを紡いでいく。妊婦の麻生は小さくまとめたエンディングのように見えるが、ここに濱田の姿を重ねてみよう。人生経験の襞を身に纏ったバツ2の濱田は、しかし、宮迫を肯定し自分も前向きに生きているし、そのことを娘に伝えようとしてもいる。
麻生の結婚の先行きも怪しいものだが、楽に生きるのではなく人生を楽しく生きることを経験から学ぶだろう。仲里依紗が、身篭った麻生と再会するとき、彼女は自分の母の若かりし姿(および母体内の自分自身)と対面しているともいえるのだ。朽ち果てた店(=家庭)を見て流した涙は、世代をまたいだ女性史の連なりと無縁ではあるまい。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (7 人) | [*] [*] [*] [*] [*] [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。