[コメント] 百万円と苦虫女(2008/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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バーエンドバー付きのマウンテンバイクに乗った王子様が現れて小粋なキッスを交わしても、決してトレンディドラマ的な、スイーツ(笑)的な展開には流れないはずだという信頼感がタナダユキという作家にはあって、今回も見事に期待に応えてくれた。ただ今作は、それでも脚本が弱いと感じる。
何しろ、鈴子嬢がモテすぎなのだ。どこに行ってもモテちゃうのだ。いや、別にモテるのはいいんだけど、男たちが彼女に言い寄る理由というのは「顔が可愛くて何となくイイ感じ」というだけなのである。そしてこの物語は“苦虫女”鈴子がモテないことには成り立たない物語なのである。
つまりこの『百万円と苦虫女』という作品は、主演女優が魅力的であり、その女優を魅力的な画面に閉じ込めて初めて成立する物語なんだ。鈴子という人物/キャラクターのパーソナリティについては、ロジカルな解釈がまったく為されていないと思うんだ。
旅の中で絶望的な状況を回避できるような要素が、鈴子の人格の中には存在しない。例えばこの旅物語には、必然的に訪れるであろうはずの「耐え難い孤独」というファクターがごっそりと抜け落ちているし、主人公は「もう家に帰りたくなっちゃった」というセリフを決して吐かない。それは「蒼井優がかわいくてモテる」という、鈴子のパーソナリティとはまったく関係ない要因に拠るものだ。「きっと次の街でも“出会い”があるさ」と予感させるラストは、「蒼井優がかわいくてモテそう」だからこそ成立する性質のものだ。
極端な例を示そう。江口のりこだ。江口のりこが本域でその“苦虫力”を発揮しながらこの旅を遂行していたなら、ソウルメイトの彼も森山王子も裸足で逃げ出していたに違いない。江口はカキ氷だって桃もぎだって、きっとうまくやれないだろう。誰も言い寄ってこないだろう。そして、その見栄えのしない苦虫顔でさめざめ泣くんだろう。そういうのが“苦虫女のリアル”なんじゃないかと思うのだ。極端な例とは失礼だ。江口のりこ大好きだ。
ともかく私は、そんな“モテ苦虫”鈴子に共感して慟哭に震えることなどできなかった。少女マンガ性を排除しながら、根っこの部分で少女マンガ的な「必然性なき必然(=いるだけでモテるという)」に頼っているような、そんな映画だと感じた。
ただし、この映画の蒼井優はたいへんに魅力的だ。そしてタナダユキは蒼井優を、たいへんに魅力的な画面に閉じ込め続けた。だから、好きか好きじゃないかといえば別に好きな作品ではないし、「脚本が弱いと感じる」とか言いながらも、面白かったか面白くなかったかといえば、わりと面白かったのです。★4。
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