[コメント] ハプニング(2008/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
ファインダー越しに見えない何かを追おうという着想は、まるで黒沢清『カリスマ』のそれだが、絵が段違いに強い。直球しか認めない観客からいかに話をこき下ろされようとも、この絵の強さゆえにシャマランは未だにメジャーにとどまり続けている。
また、日常が破れ、周囲の人々が壊れていく様は、静寂と引きの画を旨としていて、まるでゾンビなき、新しいゾンビ映画を見せられているようだった。そこには血みどろのメイクも、強烈な死人の演技も存在しない。ただ、いくつかのルールがあるだけだ。
喋り方がおかしくなる、後ろに歩く、そして無感情に手短な方法を探して自殺する――言葉にするとバカみたいだが、シャマランは常にそのルールを観客に呑ませ、(たとえ結末で愛想を尽かされようとも)乗っからせるところまでは成功してきた。これもひとえに“映るものの”の見せ方が巧みだからだ。進行方向に死体がたくさんあるなら、どういう風に「最初に目に入ったら」怖いかを考えに考えている。集団首吊りとかがまさにそうだ。あんなビックリ効果音など、いらないぐらいだ。
ただし、そのファインダーの奥の世界観が磐石かというとそうでないのもまた事実だ。このご時勢に、“植物の毒素が人類を狂わせ滅ぼす”などという話をメタフィクションに逃がすことなく、確固として設定している潔さは良い。そして、そういうウルトラQに出てきそうな設定を一切の表立った特撮を用いることなく、風と木のみで演出しようというアイデア勝負は大変粋で面白く、撮影も失敗していないと思う。しかし、今回、自分はそれを信じて乗っかりきることができなかった。最後の最後で「こんなんただの風やんけ!」と思ってしまった。
シャマラン映画のもう一つの特徴として、最初は驚くほど繊細な人間描写(たとえば主人公の妻と親友の確執とか)に始まりながら、最後はビックリするようなベタなヒューマニティかロマンスに落ち着くというのがある。自分はこれ嫌いじゃない。あんまりのめなかった『ヴィレッジ』も、手をつないで走り出すシーンは最高だ。今回も、主人公が決意して外に出て行く、すると奥さんも親友の娘も答えるように出てくる――こんなシーンは無闇に感動したいぐらいなんだが、残念ながら無理だった。なぜなら彼らが死の危険の中にいるようには見えなかったからだ。緩いのだ。所詮、クライシスを描き切れていないのだ。
シャマランはヒッチコックフリークで今回も終盤とか『サイコ』を思わせるのだが、ヒッチコックのような純然たるサスペンスの物語をやる才能は無い。だから超常現象=自分ルールの設定に逃げる。なのに、どこかでその超自然現象とガップリ四つに組み切れていない。設定の粗に自ら目を瞑ってしまっている。なぜなら、それは彼にとって自分なりのサスペンスとドラマをやるための必要悪に過ぎないから、だ。
この世には菓子でミニチュア作って火薬でボロボロになる着グルミ使ってしかもそれを信じきる破廉恥な覚悟もあるのだが、それが無いのが彼の面白いところでもあり、弱点でもある。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (11 人) | [*] [*] [*] [*] [*] [*] [*] [*] [*] [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。