[コメント] グラン・トリノ(2008/米)
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浮世離れした友情や献身、度を越した自尊心と傷付き易さ、激しい悔恨と悲哀の情…それはロマン主義の表れである。勿論、そんな感受性はこの現実世界では生き延びることができない。十九世紀の結核の作曲家の書いた譜面の上にのみ存在するのである。
イーストウッドはそのことを十分承知している。承知していることをほんのちょっとした仕草で示すことができる。くいと眉を上げてちらっと横を見る、または微かに首を振る―「いくらなんでもそれはなかろうぜ」と。そうやって呆れておいて、自分で言った「それはない」ことをヌケヌケとやってのけるのがイーストウッドなのである。ロマンティックといえば「嘘くさい」を意味するこの時代に彼がロマン主義的ヒーローを演じられるのも、このクールな自己批評があればこそである。言わば確信犯的技巧的時代錯誤なのだ。若い頃からすでにしてそうだったし、その後もずっとそうだった。
しかし時代は悪い方へ回る。アメリカは衰えて町は荒廃の極にある。そこにロマンティシズムの存在する余地は、イーストウッドの技巧を以てしても全然無い。時代遅れという名の優雅さを受け容れるだけの豊かさがもうそこには無いのだ。だから彼は偏屈ジジイとなるしかない。
そしてこの状況から彼は最後のお伽話を始めてみせる。新しい相棒は何も知らないので一から教えてやらなければならない。多くのものが既に失われている。眉を上げて自分で自分に呆れてみせるいつもの仕草も見られない。結核にだけはちゃんと罹る。ヨロヨロしながらそれでも彼は何とか最後まで辿り着く。滅多撃ちになって豪快にブッ倒れるその姿に湿っぽいものは微塵もない。自らのロマン主義に磔となったその最期にはある種の充足感すら漂っている。だからこれはやはり幸福な映画と言うべきだろう。彼はヌケヌケとやった。床屋に悪態を吐いてからドアを開けて路上へ出るように、稚気溢れるやり方で―つまり「男のやり方」で―やってのけたのだ。
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