[コメント] ツィゴイネルワイゼン(1980/日)
「わかるわよ、いつだって骨をしゃぶるみたいな抱き方だもの。」
中砂(原田芳雄)が芸者(大谷直子)の白い腕に指を這わせるシーン。
愛撫であって、愛撫ではない。それは目に見えない骨を探り当てようとするかのように、本当に骨をしゃぶるみたいに。それは、精液や汗や涙や唾液など、あらゆる湿ったものを排除した後に残された乾いた砂を求めるような、究極の愛し方。
「肉感的」という言葉に代表されるように、一般には肉が成熟の証とされている。肉が熟し、匂いたち、薔薇色に輝き、息づくのに対し、骨は文字通り、生命体を形成するための骨組み、支えでしかないと思われがちだ。
しかし考えてみれば、深く関わった相手の骨について、私は自らの指先で触れた時の感触をいつまでも覚えているような気がする。
裸で抱き合った時の相手の骨格、肉を通して感じられる骨の硬さ、太さ。岩のような膝小僧の固さや、ベッドの中であやまって肘鉄を喰らわされた時の思いがけない痛さ。顎の骨の厚み、がっしりと、そしてゴツゴツした足首の骨。
張りつめた筋肉の美しさやそこに浮き上がった汗とともに、骨の感触が記憶に刻まれる。
愛欲=肉欲ではない。鈴木清順は死後肉体を焼いても最後に残る骨、究極の愛とエロスを描いたのかもしれない。
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