[コメント] ディア・ドクター(2009/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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今どき、こんな出来事がありうるだろうか、いくら山奥の無医地区だったとはいえ・・・そのことを思うとこれは一種の寓話と言えるかもしれない。
だが主演の笑福亭鶴瓶の、演技と言っていいのかどうかさえためらうような、自然にかもし出している空気があまりに見事で、それが並外れたリアルさを生み出している。他の主だった登場人物、役者たちも、まるで笑福亭鶴瓶に引きずられている様に、そしてまた他方では、自然に笑福亭鶴瓶をフォローしているかのようにも見えて、いかにも実際にありそうな話に思えてしまった。
その上でこれはいろんな想像をかきたてられる映画でもある。何故、笑福亭鶴瓶は娘が「次に来るのは一年後」と聞いて、あそこまで用意したうそを、すべてご破算にしてしまったのだろうか。八千草薫がとても一年ももたないとわかっていたから、親の死に目に立ち会えないかもしれないと良心の呵責に耐えかねたのか、それともまだ数年は八千草薫が生きるのに、毎年毎年こんなことはやっていられないという、ごく当たり前のことにはたと気づいてしまって投げ出してしまったのだろうか。
他にも、おそらくは真相を知っていた香川照之の胸中はいかばかりであったのか、など、そうやって想像をめぐらせられる映画は嫌いじゃない。どうなのかなあと考えてみたり、感情的になってみたり、ということは映画を見終わった後の楽しみの一つじゃないだろうか。
ただ、そういう点から見ると、あのラストはちょっと半端な感じもする。結論めいたものを一切見せずにすぱっと終わるか。瑛太があの診療所に医者に奈って舞い戻るというハッピーエンドか、いっそ廃墟となった診療所に寂れて廃村寸前の風景でしめるとか、極端に走った方が、想像をかきたてる映画には相応しいような気もする。
また、脇役の中でも松重豊がびっくりするほど味のある存在感を出していて驚いた。こんな役もできるのかと見直した。
なお、冒頭の寿司だかなんだかをのどに詰まらせた寝たきり老人のエピソードは、案外、本作の隠れたテーマかもしれない。あの時、蘇生に全力を尽くそうとした笑福亭鶴瓶に、家族は大声を上げ、暗にもうこのままで、と示し、おそらくその介護に疲れ果てているであろう嫁の手元をアップにし、それを受け、笑福亭鶴瓶は治療を中止し死亡時刻の確認までしている。その後の思わぬ蘇生で笑い話になりかかったが、後の八千草薫の心情とそれを受けた笑福亭鶴瓶の行動を思うと、ひょっとしてこの映画は、人の死に様にまで踏み込もうとしているのか、とも思えた。だが、映画全編からはそのことについての悩みはあっても、苦しみはなく覚悟も伝わってこなかったような気もする。
最後に余談だが、この映画を見て、日本の医者の理想形、手塚治虫の「ブラックジャック」を思い出した。その中にこの映画に非常によく似たエピソードが出てくる。そしてどうしてもそれとこの映画を比べてしまい、後に残る余韻に差があるが故に、今一つ、本作に物足りないものを感じたのも事実である。
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