[コメント] 愛のむきだし(2008/日)
4時間に渡り実に饒舌に「罪」と「愛」について語られる。台詞が過剰だという意味ではない。この映画的饒舌さは「罪」と「愛」に対する園子温の真摯さと、その裏返しとしての照れだろう。そんな横暴な要求に西島隆弘も満島ひかりも健気によく応えている。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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とりわけ、怨み女安藤サクラのいびつなひねくれぶりが好い。
元祖怨み女といえば、黒い帽子に黒マントのサソリこと松島ナミ(梶芽衣子)だ。サソリの怨みは体制(国家)に向けられた。本作では、そんなサソリは完全に戯画化され、外見だけの抜け殻(これも空洞?)としてネタにされる。いまや、体制(国家)など怨みの対象にはならないのだろう。
ここでの怨み女コイケ(安藤サクラ)の怨みは、すなわち現代の怨みは、世間に向けられる。世間とは小市民の集合体であり、まさしく「罪」にまみれながらも「愛」に憧れ、その内容の如何に関わらず「愛」という記号に群がる者たちの集団である。そこにつけ込み、現代の怨みは個を組織化すると見せかけて、巧みに個の弱体化を図るのだ。
園子温がユウ(西島隆弘)とヨーコ(満島ひかり)に託した純愛(記号などではない純粋な愛)とは、つまり真摯さと照れの饒舌の末に語りたかったのは、「罪」をも生み出すほどの強固な個の思いこそが、現代のいびつな怨みに対抗しうる貴重な武器なのだという、気恥ずかしくも真っ当なメッセージなのだ。
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