[コメント] 東京オリンピック(1965/日)
肉体ではなく精神が躍動する美しさ。デフォルメされた音響により、その躍動美は観る者の精神をさらなる高揚へと導く。勝敗はもはや意味を失い、そこにスポーツの本質が露呈する。祭典に集う人々の心を映像と音で捉えようと試みたスポーツドキュメンタリーの傑作。
追記
<10月10日は私の映画の師の命日でもある>
37年前の10月10日、東京オリンピックが幕を開けた。そして今日(01年10月10日)は、私の父の一周忌でもある。
1965年、小学校三年生だった私は父に連れられこの映画を観に行った。父と行った始めての映画。日が暮れた帰り道。私はこの作品にすっかり興奮していた。それは、毎日見ているテレビなどではなく“映画”という何だか良く分からないが凄い物が存在することを知った興奮だったような気がする。
感想や質問を矢継ぎ早に繰り出す私に、ひとつひとつ微笑みながら応えてくれた父の顔をはっきりと想い出すことができる。映画に目覚めた息子がよほど嬉しかったのかもしれない。
その後、私は中学生になって映画館通いを始めた。仲間内ではいっぱしの映画通気取り。そんな私に30〜50年代の映画名を上げては「コレ、観てないのか。まだまだやなぁ〜。オレがこの映画を観たときはなぁ・・・」などと、私の部屋に入り込んでひとくさり映画評を聞かされた。私と話がしたかったのだろう。
映画を観て感動する。人生を考える。今、私の中にあるこの感受性は、いつ何処からきたのだろう。今まで生きてきた経験?じゃあ、そのベースは?と考える・・・
それは、まぎれもなく父であろう。父が私という人間の存在を築いてくれたのだから、やはり私にとっての映画の師なのである。
ありがとうございました。でも、私はまだあなたの影から抜け出せずにいます。
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