[コメント] サロゲート(2009/米)
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設定面で荒削りなところが多いのは否めないが、これは図らずも映画における「人形〈ヒト-ガタ〉論」の先端を成す作品であるように思える(ごく近年の作品に限って云えば、たとえば『アバター』『空気人形』『ターミネーター4』『アイアンマン』『ラースと、その彼女』と比較して)。というのはSFにも文化人類学にも民俗学にも門外漢である者の戯言にすぎないとしても、ともかく、ジョナサン・モストウがこれほどひねりの効いたユーモアの持ち主だとは思わなかった。ひねりが効いていると云うよりも一周回ってストレートなだけかもしれないが、まずは毛量豊かなブルース・ウィリスをちょっとだけもったいぶって登場させて手堅くワン・ヒット。電車や街中においてサロゲート集団が見せる無表情演技も滑稽さと恐ろしさを同時に際立たせる。その滑稽さと恐ろしさが最大値を示すのは云うまでもなく、クライマックスでサロゲートたちがバタバタと倒れだす場面だろう。吉本新喜劇などにおける、ボケを受けての集団ズッコケを想起させる。
ラダ・ミッチェルの扱いがシーンを経るごとにフェティッシュになってゆくのも面白い。ジェームズ・クロムウェルに操作されて繰り広げる街頭大アクション。ラストはウィリスに操作されて人類を救いつつ、その直後に自身は破壊される。
さて、これは非常にナイーヴな問題だけれども、全サロゲートが動作不能に陥ってヒトが「生活」を自身の肉体(フレッシュ)のもとに取り戻す、という結末がひとまず「倫理的」だと云えるとする。しかしこの映画は、ウィリスの乗る自動車が暴走して次々と(視覚=画面のうえでは人間と等しい)サロゲートたちを轢き飛ばすシーンに顕著なように、「ヒトがヒト扱いされない」ことに主要な面白さを見出している。それは、きわめていかがわしい。だが、いかがわしさを手段にして倫理を示すことこそが「娯楽映画」の本領であると、『サロゲート』は私に思わせる。
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