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[コメント] パラノーマル・アクティビティ(2007/米)

基本的につまらない。が、このつまらなさは演出家が戦略的に目指したものだ。「不審な物音がする」とか「ドアーがひとりでに動く」といった超些細な事柄を観客に「面白い」と錯覚させるためには、それ以外の場面を必要以上につまらなくすればよい、という戦略。全体の「底下げ」による突出部の捏造。
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**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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超低予算の手作り映画であるという情報はもちろん耳にしていたけれども、それにしてもここまで慎ましい佇まいの作品だとは思わなかった。つまらないということを前提に好意的に云えば、これは正しく作られている。正統的である。上述の「戦略」も「底下げ」を映画の志として容認しうるならば正しいし、二名の主人公が観客をイライラさせないではおかないグズなキャラクタであるというのも作劇の観点から云って正しい(利口者であれば最悪の事態の回避に成功してしまうでしょう)。そして何より寝室の固定カメラのポジション。審美的には見るべきところのないショットで、また、どうせ大したことは起こらないのだろうと分かっているにもかかわらず、画面左に置かれた開き放しのドアーが観客の視線を要求しつづけ、私たちはそれに抗うことができない。であるのだから、唐突に右の画面外空間にある(と仮定する)窓から何かが突き破って入ってくる、などの驚きの創出があってもよいだろう。サーヴィス精神が足りない。足りないついでに云えば、閉塞感や絶望感ももっとほしい。それは(状況設定の仕方に限って云えば)ミカとケイティが自宅を出ないのは彼らなりの積極的な選択であって「出たくても出られない」のではないからだ。そこに限らず、成功するかどうかはともかくも彼らにはまだ多くの選択肢が残されていた。絶望感とは、もはや打つ手がなくなったときに生じるものだ(その点について『REC』と比較することはしないにしても、アイデアの新奇性で勝負をしようと二〇〇七年に制作されたこの映画が一般公開に至るには〇九年まで待たなくてはならなかった、という作品にとっての不幸あるいは幸福はあるかもしれません。その間、アイデアの新奇性は目減りし、相対的に「正統性」が浮かび上がってくることになりました。いずれにせよ本国ではヒットしたというのだから大したものですが)。

また、これは好みというか文化間の「悪魔」観の違いのためかもしれないが、超常現象の原因がかなり早い段階で「悪魔」(としか呼びようがない超自然のもの)と特定されては恐怖感の上限も定められてしまう。「人為のもの」や「気のせい」である可能性を残しながら語ってサスペンスを持続させてほしい。その点で恐怖の対象が本当に存在するのかどうかすら判然とさせなかった『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』は偉かった。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (8 人)DSCH disjunctive[*] わっこ[*] FreeSize muffler&silencer[消音装置] tkcrows[*] けにろん[*] shiono[*]

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