[コメント] ぼくのエリ 200歳の少女(2008/スウェーデン)
映画を見終った人むけのレビューです。
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エリは経年齢化のためか目立って衰えてきた男の仕事ぶりを責めてさえいる。そんな一見コミカルに見えてしまう冒頭シーン。
しかし、作品はエリより照準をオスカーに合わせている。オスカーの孤独感、生きることの諦観まで感じられる映像を通し、北欧の冷たい寒空と心の空白が観客に説得力を持たせ、しみじみ人生の哀しみを感じさせている。
ところが、エリと共棲している男の役割が明瞭になるに従い、ちょっとこの映画は恐くなってくる。男は能力的にもはやエリの援護者ではなくなって来ているのだ。心をエリに捧げながらも、肝心のエリは次の援護者を求め始めている。男の哀しいまなざし。
男は自分の血液を最後にエリに飲ませた後、人間のままで転落死する。こういうシーンは見ている間はそれほど注視しなかったのだが、映画を見た後特に印象に残っていることに気づく。
また、オスカーが父親に会いに行く時に男の愛人に邂逅してしまうシーン。これは何の意味かなあと思ったが、エリの性器が映倫で変に掻き消されていたシーンと、エリが女の子じゃなくてもいいかな、なんて言っていたことを思い出し、これはその伏線であったことに後で気付いた。
大体、ヴァンパイヤが人間との子供を持つことなど出来ないのだから、セックスは必要ないのである。それでもオスカーはエリとの、果てしない逃れの旅に出ようとしている。
それほどこの世に人間と生きることは厳しいものなのか、映画ではそこまで突き詰めてはいないと思われるが、オスカーの心理もさることながら、一方ではエリの主体的、能動的、計画的行動も鮮明に印象を持っていることに気づく。
澄んだ映像、白夜の北欧の空、スピード感のある映像処理など見どころも多い。本当に美しくもあり、怖いヴァンパイヤ映画であった。エリはこれからもさらに何百年も援護者を変えて生き続けるのだろうか、、。エリの心象風景ももっと投影されていたらよかったように思うが、印象深いラストシーンも秀逸であり、秀作です。
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