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[コメント] 仁義なき戦い(1973/日)

教科書に載らない日本史を描いた映画史に残る映画。ぜんぶ、信雄のせい。
ペペロンチーノ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







実は私、この超有名シリーズをほとんど観たことがないんです。この1作目をほぼ四半世紀前に一度観た限り。今回、4Kリマスター版(の2Kダウンコンバート版)のテレビ放映を録画で鑑賞。

そもそも任侠物が好きじゃないというのもありますが、深作欣二という人をあまり追っていない。嫌いなわけではないんです。ただ、思想性とか作家性とか語るべきことが無いというか、「節操がない」んじゃねーか?ってことに気付いたんです。『復活の日』では「深作はコッポラだ」「仁義シリーズが『ゴッドファーザー』なら、『復活の日』は『地獄の黙示録』だ」とか言ってたんですけどね。なんか、コッポラというより、三池崇史に近い気がしてきたんですよ。いや、三池大好きですけどね。

「節操がない」って書きましたが、正しくは「映画が面白けりゃなんでもいい」感。対極にある「思想性の強い作家」が大島渚だと思うんですが、「無思想」というのとは少し違う。無思想ってのは「マーケティング最優先」映画。深作欣二とか三池崇史は「娯楽最優先」という思想。『軍旗はためく下に』を観た時は「深作もこんな反戦映画を撮るんだ」と驚いたもんですが、よく考えたら新藤兼人脚本のせいでした。

今観ると、大物俳優の若かりし頃の姿を見るのは楽しいですね。みんな死んじゃったけど。それ故、周辺エピソードや逸話の類が多いんですが、それを語る気はありません。ただ、「ほぼ実話」ということは押さえておく必要はあると思います。原作は飯干晃一のノンフィクションですが、元々はこの映画の菅原文太に相当する人物の獄中手記だそうです。

つまりこれは、れっきとした日本史(現代史)なのです。日本の黒歴史。黒現代史。クロ現。

この素材が与えられた時に、深作の「娯楽最優先」が功を奏するんですね。変な思想性を持ち込むと「問題を訴える」作品になってしまう。本当にクローズアップ現代になってしまう。現代じゃないけど。もし思想性(主義主張)の強い作品になっていたら、これほど大ヒットした日本映画史に残る映画にはなっていなかったかもしれません。

それでもこの映画に娯楽以外の「深作の思想性」を見出すとしたら、深作が自称する「戦中派のしっぽ」だと思うんです。終戦時、深作は15歳くらいだったはずです。勝手な推測ですが、戦後の闇市は、深作自身が目にした日本の姿だったでしょう。この映画は、深作の「リアル」から始まるのです。

ゴリゴリ戦中派の岡本喜八は深作より6歳年上。しばしば「大人のせいで若者は苦しんだ」という「恨み節」を自作で描くことは、ここでは今さら言うまでもないでしょう。 また、深作の2歳年下ゴリゴリ学生運動の大島渚は、昨日まで鬼畜米英言ってたのに一晩で自由だ平和だ民主主義だと掌を返した「大人への不信感」がその原動力です。

実は深作が描いたこの映画も同じだったのです。

「親父に翻弄される息子たち」「親父(大人)が信用できない若者たち」の物語。『ぜんぶ、フィデルのせい』ならぬ「ぜんぶ、信雄のせい」。楽しい夕食作っとる場合じゃねーど。

この映画が作られたのは、あさま山荘事件の翌年。ある種の熱にうなされた喧噪の時代の空気を捉えた映画だとも言えます。ある意味「学生運動」の変形。学生じゃないけど。映画内の時代設定は10-20年前ですが、映画自体は製作時の時代の熱量と重なったんだと思います。

(2021.11.27 CS録画にて再鑑賞)

(評価:★4)

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