[コメント] マイ・バック・ページ(2011/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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ポッキー娘・忽那汐里が言います「きちんと涙を流せる男の人が好き」。それをブッキーは嘲笑します「男が涙を流すなんてw」。 これは、そんな男が涙を流すまでの物語です。 その涙は“本物”です。それは彼が大人への階段を登った瞬間でもあるのです。 同じブッキーでもやたら無駄にメソメソ泣いてた直江兼続とは全然違うんです。
また、この映画は、“本物”に憧れ、“本物”になろうとした“偽物”の男達の物語です。 大作感ある前宣伝に「山下敦弘大丈夫か?」と心配しましたが、結果は山下敦弘らしい「ダメ人間」映画です。 ある意味、山下敦弘の『真夜中のカーボーイ』。 ただ、普通のダメ人間じゃない(<普通のダメ人間って何だ?)。 頭がいい、弁が立つ、一見そうとは分かりにくいけど、本当は“偽物”の“ダメ人間”なんです。
主人公二人は、ダメ人間である自分を“受け入れた男”と“認めなかった男”に別れるのです。 前者も決して乗り越えたわけではないのです。“受け入れた”だけ。でも、それが大人への一歩なんです。それが彼の涙なんです。 山下敦弘は、妻夫木聡を「地に足の着いた演技の出来る人」、松山ケンイチを「5cmくらい宙に浮いた演技が出来る人」と評したそうですが、その評価が的確にキャラクターに反映されていると思います。 山下敦弘は本気で“偽物”を描いた。しかも巧みに。
そして何と言ってもこの映画、時代の空気感があるんです。 いや、私も知りませんがね、赤ん坊の頃の話だし。 ただ、ポッキー娘の「よくわかんないけど、この事件は嫌な感じがする」的な発言、これは私の知る限り「的確な当時の世論」なんだと思うんです。
劇中、学生運動を支援する雑誌が最初は売れていますね。 実際、比較的世論は学生運動に好意的だったそうです、最初は。まあ、大人から見れば子供の火遊び程度にしか思ってなかったのかもしれませんがね、最初は。 それが安田講堂辺りからオカシクなり始め、あさま山荘では決定的に世論を敵に回す。 その間わずか3年。 この映画は、ちょうどその間の出来事で、「熱を帯びた時代」の末期だったんですね。 世論も変わり始めている、運動をしている当人たちはそれに気付かず先鋭化し、もはや手段と目的の区別もつかなくなっている。
子供の火遊びが許容範囲を越えた時代だったのかもしれません。 遊びの度が過ぎると大人は叱ります。 それが安田講堂であり、劇中の三浦友和なのです。
いやあ、この映画面白いわ。
(11.05.28 ユナイテッドシネマとしまえんにて鑑賞)
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