[コメント] スタンド・バイ・ミー(1986/米)
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バイタリティのある人がいて、こんなことを言った。「過去のことなんかは振り返らない。過去よりも今、今よりもこれからのほうがもっともっと未知の面白いことが待っているし、年を重ねていくことが楽しくてしょうがない」、と。その語調からいって強がりなだけではなく、本当にそう思っているんだろうなと感じられるし、それ自体は前向きで素敵な考えではある。少なくとも私はそう思う。
でも、人はやはり過去を思い出しながら、ともすれば後ろ向きに生きていく動物ではないだろうか。上の言葉もそういうことをわかったうえでのものかもしれないとは思いつつも、私の口から上のようなことを言えるだけの自信はない。
本作において、少年たちは、線路をどこまでも辿っていった先の先、線路の果てで何か人知を超えたものがあるかどうかを見にいったわけではない。あくまで少年たちの目的は、線路の途中にある、すでに人に発見されていて想像可能な死体を観にいくことにあった。途上で主人公は、その目的が妥当かどうか疑いを持ちさえもする。それでも彼らを死体に駆りたてたものは、その対極にある自分たちの(不安定な)「生」が何であるかを確認したい気持ちだったのではないか。
死体のあった脇の場所からも、まるで死体には無関心に線路は先に続いている。人生もしかりで、その途上でどんな衝撃的な出来事があっても、それとはあくまで無関係に死の瞬間まで続いていく。死体が線路上ではなく、線路の脇にあったことが重要だったのだと思う。果てまで続くレールの脇に人知れずひっそりとある「死」(田舎町でにわかに注目を浴びたとしても、すぐに忘却されてしまうもの)を思うこと、それは過去を思うこと、そしてそれは生を思うことに繋がる。人は過去に生きる動物、ゆえに人にしか味わえない何ともいえぬ感情を抱き、それをときに噛みしめながらレールを歩いていく。脇に追いやられてきたもの、うち捨てられたものをひっそりと想うその優しさに心うたれた。
*お茶を濁して恐縮ですが、私は幼少のみぎりより帰り道の心配をしながら「冒険」しようとする、つまらない臆病者です。そのあたりはつけ加えておきます。
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