[コメント] ヒミズ(2011/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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そんな思いがきっと園に入り込んできたのに違いないと僕は思う。ここがこの映画の評価を迷わせるところでもあるのだが、僕は許す。だれだってあのときはみんな茫然としたはず。(今でもそうだが、、。)
この映画の主人公住田さんはまだ中三。けれど周りの大人はちゃんと彼にさんづけをする。この映画の視点でもあり、核でもあるところだ。年齢にかかわらず偉い人はさん付けでならなければならない。その住田さんは学校では変に浮いている。偉い人とはそんなものよ。あの、何時間もある授業を暇つぶしの勉強もせずただみなと同化し座っていると言うのはやはり偉い。すごいと思う。
そんな住田さんも一応一緒に生活していた母親が男と逃げたことから住田さんは学校に行けなくなり、一生の仕事と決めていたボート屋を営むために学校を断念する。ちょっとこの辺りは「ねじ式」のイメージも漂う。
住田さんは執拗に「僕とは何か」を考える。「自分とは何か」は過去、哲学者から文学者、芸術家が常に自分の命題として究明しようとして果たせなかった設問である。人間は死を持ってすべて完結することを知っていながらそれでもこの重く持ちきれない「自分とは何か」を常に考えている。自分のことは自分しか分からないのだが、分かる必要もないのかもしれない。死がすべてそれらをリセットしてくれるはずだから。
あの、茶谷という女の子も家に帰れば自分の存在がなくなっている。住田さんと茶谷はシンメトリーでもある。ひょっとしたら僕はドッペンゲルガー関係ではないか、と思ったほどだ。住田はだからこそ死に急ごうとする。父殺しである。カラマーゾフでもある。だが、下手な大審問官などは出て来ない。
真面目に書きます。
住田さんは年齢は僕よりう~んと離れているのに、僕の苦しき時の青春時代を思い起こします。現代のおじんも、青年も、中年も、小学生も、ひょっとしたらみんな住田さんの心を持っているのではなかろうか、と僕は思っています。
みんな生き苦しいのです。だから普通の人になりたいのです。でも今や普通の人になるのはとても至極大変なことです。何故なら普通の人が普通の人と感じる時ほど幸せな時はないからです。幸せなんて、幸せな時には感じられないからであります。
だから僕はラストシーンの「住田頑張れ」には号泣しました。何故だか涙がボロボロ落ちてしまいました。「住田頑張れ」は僕自身にかけていた言葉だったんです。映像を通して、園と、僕たち、普通になれない一般のその他大勢の人たちは、何か言葉をかけて走るしかないのです。「住田頑張れ」は決して自分に頑張れと言っているわけではないのです。何か言葉を発しないと道を走れないのです。とどまるわけにはいかないのです。
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