[コメント] 流れる(1956/日)
垂涎の成瀬ワールド。満喫できる女優の激しいバトル。衰退の美学。ヴィスコンティを思わせる。
とても印象的なシーンがあって、窓際で高峰秀子がたたずんでいると稲光がするシーン。この平坦な画面の中で、このシーンだけが奥行きを表現しているのだ。娘(高峰秀子)は、ここではポイントでありながら、さほどでしゃばらない。しかしこの代々受け継がれた女系家元の歴史を塗り替えるという意味では、このシーンは重たい。
田中絹代の物腰にも感銘する。昭和の大女優。決して美人ではない。しかしこの声、この表情、そして何しろこの物腰である。この人の演技ほど不自然さを感じさせないものはいないだろう。女中という環境が今となっては不自然極まりないが、この人に演じさせると何の不自然さも感じさせない。
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