[コメント] 君の名は。(2016/日)
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面白かったです。ヒットするのも納得します。その上で・・・。
とてもこの主人公の少年が絵が巧いようには見えず「そんなに絵が巧い少年はそうそういねーぜ」と思ったのですが、実はいるんですね。新海誠その人。この主人公に新海誠が自身を投影しているようにも思えます。 そう仮定すると、まだ見ぬ運命の女性、それも田舎で純粋に育った清楚系で巫女(=処女)の少し年上の素敵な女性がどこかで僕ちゃんを待ってくれている・・・という、こじらせ男子のなかなかキモい話なのですが、内蔵を取り去りスパイスで臭みを抑えて調理すると、ウケの良い「ボーイ・ミーツ・ガール」の物語になるわけです。
実際には純粋な「ボーイ・ミーツ・ガール」ではなく、予め決められた恋人たち(運命の二人)が再会するまでの物語です。この原型は何かというと、それはもう菊田一夫のメロドラマ『君の名は』。ああ、そうか。今時流行りのスイーツ映画は、実はメロドラマだったんだ。 そしてこの映画で、臭み抜きのスパイスとして投入されるのが『転校生』だったり『時をかける少女』だったりと「ジュブナイル物」なんですね。元祖こじらせ男子=大林宣彦の凄さを思い知ったか!ワッハッハ!(<そういうことじゃない)
こうした“既視感”を非難するつもりはありません。今の時代、全く新しい物なんてそうそう発明できるもんじゃない。「ポケモンGO」だって既存の技術の組み合わせで新しい物を生み出したのです。既存のノウハウの組み合わせで新しい物を魅せる。むしろ今の時代感のような気がします。
さらに、メロドラマとジュブナイル物に加え、刑事コロンボ的「倒叙型」謎解きも行われるわけです。予め決められた恋人(コロンボなら犯人)を先に観客に提示しておいて、後から“運命”の理由(コロンボなら犯行手口や動機)を解明していく。 それはそれでいいんですけどね、“運命”に理由を求めるのが、う〜ん、これが今時なのかそれとも新海誠だからなのか、オジサンちょっとね・・・と思っちゃうのです。
オジサンちょっとね・・・はもう一つ。リアルな東京の街並み。いやまあ、飛騨駅もリアルらしいけどね。 押井守は『パトレイバー』でリアルな東京を描きましたが、「東京を戦争状態にする」ことが映画の根幹でしたから必然なんですよ。交通の要所(の象徴)である日本橋を破壊するから意味があったんです。 別にこの映画は東京(あるいは大都会)であれば、四谷だろうが千駄ヶ谷だろうが関係ない。電車が並走するのなんて大久保辺りだってあるよ。 その画面の情報量に意味があるんだろうか?私には意味があるようには思えないんです。 好意的に見れば、「かの災害は遠い世界の出来事ではなく、どこかで自分と繋がっている」ための“東京”ではあると思うんですがね。
それだけ緻密な街を再現できるほどアニメの技術は進化したのは確かです。しかし本当に必要なのは、その画面が何を伝えたいかだと思うのです。実写と違い、描かなければ何も生まれないアニメは尚更。 緻密な絵は、例えるならラッセンの絵みたいなもんで、観賞用には綺麗だけどエモーショナルじゃない。観たいのはラッセンじゃなくてピカソなんです。人の感情を動かす何かなんです。本物そっくりな背景はマーケティング用であって、作品として必然性はない。むしろ邪魔ですらある。
そう考えると、宮崎駿はやっぱり凄いんですよ。モデルにする風景はあっても、ちゃんと自分のイメージに消化(昇華)している。『風立ちぬ』の地震シーンはアニメでしか出来ない表現だし、『トトロ』の森は実写より森の臭いがする。その画面には彼の意図が描かれている。「そーすけ好きー!」と波の上を疾走する『ポニョ』のなんとエモーショナルなことか。“運命”の理由付けなんてクソ食らえ。男女の間に理屈も倫理もないんですよ。
オジサンちょっとね・・・と書いた2点で共通しているのは、感情よりも理屈優先、悪く言っちゃえば「頭でっかち」な印象であること。もっと悪く言っちゃえばこじらせ男子臭い。 この手のアニメを観ると「能書きじゃなくて映画を観せてくれ」っていつも思う。なんならフェリーニが観たい。説明不能な圧倒的な映画的瞬間が観たい。例えば、デブな女が浜辺で踊ってるような。
(16.11.20 吉祥寺オデヲンにて鑑賞)
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