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[コメント] 独裁者と小さな孫(2014/グルジア=仏=英=独)

同床異夢の男たちの円陣を追うキャメラが素晴らしい。映画でしか描けない理想が確かにある。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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映画館で私の真ん前に座ったお爺さんは、ずっと笑い通しだった。独裁者の滑稽を最後まで笑い続けていた。ホッホッホという好々爺の笑い声が劇場中に始終響き渡っていた。色んな感想が湧くが、途中からこの人の鑑賞眼はある種正当なのだと思うようになった。あの老人は、鬼の眼にも涙などという展開を全く信じていなかったのではないか。独裁者が数日で変わる訳もない。映画は彼の意見に呼応するかのようにメロドラマを排除する。本作は徹頭徹尾、彼の地獄巡りであり、その地獄は彼が創造したのである(孫だって、映画の後は溥儀以下の長い人生が待っているだろう)。

しかし映画は彼に許しを与えようとする瞬間がある。元大統領とテロリストたちが円陣を組んで酒を回し、孫が踊るのがフレームの端にときどき伺われる長い長いショットがそれだ。独裁者の心情は窺い知れない、多分どうやったら逃げおおせるかを考えていただけだろう。しかしこの場面は、心情の交錯はそれとして、同時に別のことも語っている。ただ形態として、映画は同じ酒を回し呑む瞬間を孫のダンスで祝福していると読める。このように敵も味方もなくなればどんなにいいだろう、と。この件は抜群に美しい。映画だから謳える理想が確かにあった(これはゴダールの引用だ。題名は失念した。直接に思い出されたのはゴダールを引用した黒沢清の『SCHOOL DAYS』−学生の一団が煙草から煙草へ火を付けて回す件がある―なのだが)。

あれはパレスチナ和平合意を評したものだったと思うが、シェークスピア悲劇のように殺し合うより、チェーホフ「喜劇」のようにお互い傷つきながらも許し合って生き続けよう、という文章を読んで心を打たれたことがある。究極の解決はこの二択しかなのだろう(あるいは、カフカ的な無限の引き伸ばしか)。そして後者を支持するしか道はないと思われる。しかし第三者が幾ら支持しようと、こればかりは当事者の心情の問題だという難しさは如何ともしがたい。平家の亡霊なら平治の乱の教訓から孫も殺せと云うだろう。本作の独裁者対反政府勢力という構図は、比較すれば簡単に見える。悪いのは一方的に独裁者だから。しかし事はそう簡単ではないと本作は知らせてくれる。カダフィ殺害後のリビア内戦という酷い現実がそこにある。叛乱者は直ちに善とは呼べない。冒頭の余りにも美しい街灯アーチは、アウシュビッツの後で詩を書くのは野蛮だというアドルノの言葉が思い出される。

※水那岐さん、少し書き足しました。

(評価:★5)

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