[コメント] こわれゆく女(1975/米)
ひととひとのあいだにある、引力のごときもの。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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4,5かな。個人的にジーナ・ローランズの熱演は苦手です。
この映画をみて、まっさきに、 R.D.レインの精神医学を思い出しました。他者と人間との関係のうちで もっともおそろしいのは、偽物の他者を造り出して、その偽物の 他者としか関係がもてなくなることだと、レインはいいます。
この映画では、行動がおかしくなった母親から、最初こどもが とおざけられます。ところがまるで引力のように、母親のもとに まいもどる子供の姿に、ぼくはショックをうける。
この子供の行動こそが、母と父をすくった、と考えるのが 妥当でしょう。(最後のいつまでのなりつづける電話のもつ深い意味。 とりあえず、今はよそ者は不要なのだ。)
愛情にみかえりがなければ、それはひとを「狂気」へとおちこませる。 いや、そもそも狂気はそういうことがつみかさなって、苦しみをあじあわ ざるをえなくなる状態だ、といえる。狂人なんて本当はいない。 60年代の反精神医学の重要な 主張です。偽の関係をつくりだすのが、現代人にとって病根である、と。
でも、理屈(僕がよく書く)は映画の説明にはけっしてなりません。 父親の怒鳴り声、祖母のつめたいまなざし、はしりまわる子供のすがた、 テーブルの上でおどる母親、そのダイナミズムと緊張に、わたしたちは ただただ驚嘆するほかありません。そこに、生活の背後にあるものが うかびあがっているのだから。
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