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[コメント] シェイプ・オブ・ウォーター(2017/米)

パンズ・ラビリンス』のような妖しく美しい暗黒幻想譚かと思いきや、嫌いなジャン・ピエール・ジュネ風の幼稚で狭苦しい箱庭映画に失望。本筋は粗雑で凡庸なメロドラマに過ぎず、むしろ主役はマイケル・シャノンと思いたい。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







ヒロインの声の喪失は「人魚姫」を連想させる。むしろその声の喪失から始まる恋物語というわけか。その首に残る傷痕は、まるで半魚人氏の爪で掻かれたようにも見える。実際その可能性も示唆していたのかもしれない。ヒロインが孤独に浸り自慰に耽っていたバスルームは半魚の避難所となり、やがては二人の愛の巣となる。ヒロインの孤独の穴を文字通りに埋める半魚。

ヒロインは障碍者。その親友は黒人。同居人の画家はGAY(それがバレて会社をクビになったのか?)。半魚と同様、皆差別される存在。マイケル・シャノンが掃除婦の前で平然と小用を足すのも、彼女らを人間扱いしていないからであり、更にはその男根主義のシンボルと思しき黒い棍棒を見せつける。ヒロインが触ろうとすると制止するのも大事な部分を守ろうということか。その黒々としたモノで、彼にとっては人間以下の存在たちを叩きのめす。「ソ連のスパイ」もまたその内に含まれるだろう。対して半魚の陰茎は慎ましやかに普段は仕舞ってある。まあ、晒したままウロウロさせるわけにいかないという映画的事情なんでしょうけど。

だがそのシャノン、初っ端で半魚に指を食い千切られてから、徐々に彼自身が怪物と化していく。画家が会社から求められていた理想の幸福な家庭像にそのまま嵌め込まれたような皮相な「まとも」さの中で生活している彼は、だが、妻子の「絵に描いたような」嘘くさい笑顔の中で仏頂面。妻に男根主義を示す腰振りのさなかにもそれは変わらず。指を返してくれたヒロインに欲情を露わにするのも怪物と似る。ヒロインはヒロインで、その指を見つけた時にたまたま手にあったのでそこに入れた袋は食べ物を入れていた袋で、シャノンはその匂いに気づく。食べ物=指という怪物性はヒロインにも暗示されている。シャノンの指は腐って異臭を放ち、黒々とした棍棒のようになって、彼自身の手で毟り取られる。去勢?半魚を追って雨でずぶ濡れのまま黒人掃除婦の自宅に押し入るシーンでは、その場違いな水浸しの男一人の姿に、もはや彼自身が水の中でしか生きられぬ怪物に見える。

彼は上官に向かって言う、「たった一度の失敗でクズ扱いするんですか?いつまでまともであると示せばいい?」。だが上官は言う、「まともな男は失敗せん。それ以外のまともさなど、この国には無用だ」。ヒロインが半魚を逃がす日、日めくりカレンダーの裏に書かれた格言は「人生は失敗の繰り返し」。国や社会が求めるような「まとも」な人間など存在しないのだ。シャノンの怪物化も、半魚を奪われるという失敗、またその際に画家の車にぶつけられて「成功者に相応しい車」を醜く歪められたことから加速したように思える。彼自身は実は、気取った菓子よりも、子供の頃から馴染みの安物のキャンディを好む男なのだが。車を買った際も、塗装の色を「緑は嫌いだ」と言って、店員に「色名はティール」と訂正されていた。そして、本音では嫌いな色の車を買う。その後、「まとも」という塗装が剥がれていった彼は最後、半魚に首を引っ掻かれ、ヒロインと同じような傷を負って、彼が差別し虐げてきた者たちとの完全な一致を遂げる。

このようにシャノンには幾らか陰影らしきものが描かれてはいるが、やはり戯画的なまでの悪役として造形されすぎている。貴重なサンプルである半魚を血が出るまで虐待するなど、すぐにクビになって当然の案件。この映画、世界観の視覚化である美術からして、バンド・デシネめいたデフォルメ、フィクション性によって現実味が褪せている。

幻想感、描きたい画を優先してリアルを喪失しているという点で、特に気に食わないのは、ヒロインがバスルームのドアを閉めて水を満たし水槽化するシーン。水中で半魚と交わり幸せそうだが、床から下に水が漏れ、そこにある映画館の観客が避難。おかげで画家は「出ていけ」と叱られてしまうが、半魚を安全に匿わなきゃいけない状況で行動がバカすぎる。画家がマヌケに居眠りしているあいだに半魚がバスルームから出るのもあまりに古典的なシーン作りで、その古臭さがレトロで良いなんてものではなく苛立たしい。半魚は猫と喧嘩し殺害した挙句に逃亡、だが外に出た半魚は誰にも見られず何事も無く、すぐさまヒロインに保護される。半魚から人目を避ける緊張感や、彼を守りたいという心情が感じられない。

ヒロイン&半魚が手話でコミュニケートするシーンにも、二人が心を通い合わせる繊細さが描けていたとは思えない。そこが最も肝心なところだろう?半魚の造形にしても、あの亀と魚をかけ合わせたようなのが「美しい」とはとても思えなかった。『パンズ・ラビリンス』のクリーチャーのような妖しい造形美を期待していたのに裏切られた。もう少し人間に寄せた造形の方が、異形ではあるが異物ではないという絶妙なキャラクターになり得ていたとも思うんだが。半魚の体が発光するシーンもバカらしい。光が綺麗なだけであって、あれで半魚の姿が美しくなるわけじゃないんだから。発想が安易。ヒロインもなんだかガサツな女に見えて魅力に乏しい。障碍に負けず健気に生きているということだけで神聖化されるとでも思ったんならそれはまた逆差別。

『パンズ・ラビリンス』では、幻想はむしろ現実に立ち向かう戦場であった。現実は現実として冷厳に描かれていた。対してこの『シェイプ・オブ・ウォーター』は、現実の中に幻想的存在を置くのみならず、世界観そのものが幻想味で覆われている。これは堕落としか思えん。

(評価:★2)

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このコメントを気に入った人達 (5 人)おーい粗茶[*] ぽんしゅう[*] けにろん[*] DSCH 赤い戦車

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