[コメント] 15時17分、パリ行き(2018/米)
もはや達観の映画作術。マーケットはおろかバランスさえも一顧だにしない。じゃ独りよがりか?っていうとそうでもない。イーストウッド監督は独立独歩我が道をゆく。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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見せ場である「事件」は終盤の15分くらいからスタートし、ほんの数分で終了。こんな構成、才能がある若手〜熟練であっても、外してしまう恐怖や成功させたいという功名心が邪魔して無理。もうそういった円熟さえも超えてしまった人にしか作れない。それでいて、好きなように作って、駄作にも難解にもならないのが凄いなあと。
もともと監督は「ドラマ」なのか「ミステリー」なのか、などというジャンルに拘らない作風が持ち味で、『恐怖のメロディ』とか『チェンジリング』なんかみたいな他の誰もとれないような作品を作ってきた人だと思うけど、本作の「偶然おとずれる英雄譚」をほんとに幼少期にさかのぼって描いちゃうあたりの、これでいいのだという「確信」と、ちゃんと作品にできるよという「辣腕」にあぜんとしてしまった。
事件の当の本人たちが、あんなに自然に再現ドラマを演じる(事件の場面だけでなく、若い頃の家庭や学校でのドラマまで)ことをやり通せたのは、「いいや、もうこの爺さんのいうとおりにやっておけば間違いないや」という、監督の信念の強さがなければここまで堂々とした演技が成り立たなかったろう、と思う。イーストウッドの技は、日本なら無形文化財か人間国宝というような、そういうステージだと思う。
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