[コメント] きみの鳥はうたえる(2018/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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換言すれば、どこまでも現実的・日常的でありながら、同時にひたすら映画的でもある瞬間に恵まれている。
まずは撮影四宮秀俊+照明秋山恵二郎が捉えた「夜」の艶やかさに目を奪われる(※)。これが(たとえばジョン・カサヴェテス『フェイシズ』をそう呼ぶような意味において)「顔面映画」たりえたとして、それも彼らが創造したところの、染谷将太らの顔面表面に織りなされる陰翳による部分が大きい。ラストの柄本佑・石橋静河のバストショット切り返し、その表情の途方もない複雑さも、まさに「映画」だけがなしうる表現である。
また、どれほど賛辞を連ねても過分とはならないだろう主演三名の豊かな人物造型は、むろん彼らの演技技術と三宅唱のアクティング・ディレクションの賜物であろうが、衣裳・髪型演出の如才なさも見逃せない。とりわけ帽子を用いて長髪男性の柄本を疑似坊主頭に仕立て上げてしまうあたりは発明的で、その外見変化が画面の彩りに資するところも決して小さくない。
さて、足立智充が絡んだふたつの暴力シーンも鮮やかかつ対照的で(トイレットにおける柄本の瞬間的・突発的暴力と、足立による「自転車」「木刀」を用いたワンカット・ロングテイク襲撃)、三宅がアクション演出をよくこなす才も持ち合わせていることは瞭然としているが、仮に以上のような作品のクォリティにまつわる諸々をいったん脇に置いたとしても、それでもこの演出家に心酔してしまうのは、通俗的に云って彼の「優しさ」のためだ。終盤、主人公三名の別れの前夜が明けるころ、映画は、山本亜依と柴田貴哉、足立と萩原聖人にもそれぞれの夜があったことを告げる。柄本・染谷・石橋三名の物語としての閉じた完成度を損なうことになろうとも、「世界」の広がりを肯定的に示さずにおれない性分は、絶対的に優しい。
(※)巷間では『きみの鳥はうたえる』と濱口竜介『寝ても覚めても』の比較も賑やかになされているらしい。ともにすでに自主映画の諸作で高い評価を確立している三〇代監督の商業映画最初期作が同日に封切られたとあれば無理からぬことだが、最も直接的かつ具体的に彼らを結ぶのは秋山恵二郎その人だろう。それにしても『寝ても覚めても』あるいは菊地健雄『望郷』の佐々木靖之は三宅・濱口や四宮・秋山と並ぶ(ややもするとそれ以上に)類稀な人材だ。
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