[コメント] あこがれ(1957/仏)
自転車のサドルに・・・。
少年時代の性はまさに「あこがれ」から始まる。
年上の美しい女性への近いけど遠い「あこがれ」。自分はまだ子供なのでまったく相手にもしてもらえない。ただ遠くから眺めたりするしかできない。この絶対的な「遠さ」。
ただ、あるとき、素晴らしい瞬間がおとずれる。この絶対的な「遠さ」を「近い」ものに、いや近いではなく触れることができる。
ファーストシーンで美しい女性が自転車でさっそうと現れる。画面には光りが溢れ「美しさ」というあこがれを少年の目に焼きつける。彼女は白いシャツに少し長いスカートで自転車に乗り、その「美しさ」は純粋に風のように爽やかだ。少年達はまだ気付いてない、自分達がある感覚を持っているのに。彼女の美しく透き通るような顔はそこには何もやましいことは見受けられない。彼女は微笑みを残して、自転車から降りて去っていく。
自転車が残った。
「彼女」の自転車が残っている。
少年達は自分の中にある感覚が湧いてくるのに動揺し興奮する。彼女はスカートで自転車に乗っていた、自転車のサドルはスカートの中にあった。 ということは、サドルには彼女の何が触れていたんだろう。
自転車に近づきそーとサドルの匂いを嗅いでみる。
性は「あこがれ」から始まる。距離を近くすることが「性」だとわかってくる。ただし大人になっていろいろ判ってきてあこがれとの距離が近くなると、あの甘酸っぱい興奮はもう味わえない。少年時代のあの遠い距離が近くなった「幻想」が一番良かったとトリュフォーは判っているに違いない。
「あこがれ」は距離感だと思う。そして幻想だ。
あのサドルはどんな匂いがしたんだろう。
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