[コメント] 北北西に進路を取れ(1959/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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職人肌の天才ヒッチはショック人?
ヒッチは単なる早い者勝ちの巨匠ではなく、彼の映画的な筆致は、その当時の技術を最大限に使って作品を作り上げる職人的な面を基本として、彼の内部を反映するかのごとき作品ごとの陽と陰、小道具などの細部やカット割りにこだわり、ストーリー展開や啓蒙的な部分にはあまり関心をしめず、あくまで観客をどのように怖がらせるかに固執した頑固さ(それはたぶんに彼の性格と密接不可分だったと思う)、視覚効果に対する冴え、実験的な意欲、美女に対する思い入れなど観客のみならず小言を言いたい批評家にも圧倒的な存在感を示した天才と呼んでも差し支えない程の人だったと思う。
彼の作品がその人となりに結びついている以上、外面は真似できても、内面までは手が届かない。それが証拠に、いまだにヒッチコック・タッチとか、ヒッチの後継者という呼称が使われており、本当にヒッチを超えた人も出ているようには思えない(比較評価対象が曖昧である以上、あくまで個人的な見解で思い入れです)。
ヒッチは30年生まれるのが遅くとも、おそらく素晴らしい偉業を生み出したに違いない。そういった意味で彼はあくまで職人肌を持ったショック人だったと思う。
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酔っ払ったケイリー・グラントが殺されかかるシーンからトウモロコシ畑、ラシュモア山に繋がる動のスリル、列車内やオークション会場での静のサスペンス、それらに絶妙にかぶさるユーモア、そして主人公が間違えられて事件に巻き込まれるまでのスムーズさ。
この映画は、破綻がない。細かい粗は探そうと思えば見つかるが、それを気にさせないぐらい話が面白い。必死に逃げているはずがどこか遊びを楽しんでいるかのようなケイリー・グラントの姿は、監督の姿とダブる。熟練した匠の技、である。
主要なヒッチ映画を適当に2種類に分類すると、ひとつは空間・時間を閉じ込めて凝縮させるものと、空間・時間を解き放ち拡散させるものとがあるが、(前者は『裏窓』『鳥』『ロープ』『救命艇』など。後者は『三十九夜』『逃走迷路』『知りすぎていた男』『フレンジー』など。)本作はその後者の代表作であり集大成といわれるのもぬべなるかな、と思わせる。余裕を持った映画作りを感じさせる。
それでも実験的精神は忘れない。
その例がトウモロコシ畑のシーンで、主人公は命を狙われているのにもかかわらず、「暗く」「狭い(場所で)」「誰にも見られていない(状況)」そんな従来の定理を解き放つ。白昼のだだっ広い草原に突如出現した悪意。にもかかわらず主人公には逃げ場がないのだ!ヒッチの真髄、ここに極まれり。
ちなみに、ラストシーンは、列車=男根、トンネル=女性ということで、二人が結ばれることを暗示しているらしいです。
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