[コメント] 甘い生活(1960/伊=仏)
デカダンであるとは、行くあてを失ってしまったということなのか。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
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「僕は夜が怖い。この暗さと静けさが、何より怖い。」「平和も怖いよ。地獄を隠していそうな気がしてね。」
神サマがどっかにいっちゃった後の地上には、もうどこにも行くあてがない。あるのは昔日の栄耀栄華の残骸とその廃虚、そしてそこで繰り返される連夜の乱痴気騒ぎ。そこでは未だ幼い詩人と哲人さえも不安の夜に呑込まれてしまう。そんな頽廃の都の喧燥に埋もれてしまった男には、もう新生の曙光が訪れることはない。溌剌とした活力に息衝く少女の声と姿は、遥か遠く、彼岸の彼方。映画は、さりゆくデカダンの徒を見送る少女の顔で終わるのであった。
映画とは何なのか? 何でもない。もとより「映画」なんてものは存在しないのだ。あるのは具体的な生の断片と、それを映し出す光と影だけ。これは(その映し出す生の断片の豊かさによって)、そんなことさえ感じさせ(考えさせ)てくれる映画でもあります。
この映画の長さ、退屈さはそれ自体がひとつの質です。微妙に退屈してこそこの映画なんです。
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