[コメント] 十三人の刺客(1963/日)
リアリズムを追求しつつも伝統的時代劇の作風から脱却出来ず。西村晃に託されるリアルが「娯楽作品」だけではない事を主張しているのに・・・
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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大胆な脚本、ラスト5分の西村晃に託されるリアル。そしてラスト30秒の脱出に成功した明石藩士の高笑い。俯瞰のカメラが諸行無常の「侍の世界」を冷酷に描写し、単に「娯楽作品」だけではない事を主張している。
しかし、邦画界の重鎮である片岡千恵蔵クラスには、それなりの待遇があらかじめ用意されているのだろう。画に登場する彼は、あいも変わらず従来の「時代劇」にあるべき(あったような)台詞を重厚に述べ、型にはまった司令官をそれなりに演じている。
そして4倍の敵を相手に大混戦となっても、まるで大部隊を率いる司令官然として本陣に鎮座する。仲間が次々に倒れて、緊迫した状況においてさえ嵐寛寿郎を横に従えて鎮座する。失礼だが彼の場面で一気に冷めた。
『七人の侍』の志村喬が雨中で泥まみれで走り回っていたの思い出してしまうのだ。
だが最後には「オイシイ」とこを全部持っていってしまうのか?やはり、大スターには「あるべき席」が用意されていたのだ。
もしもそれがなければ、この作品自体にも邦画界での輝かしい「あるべき席」が用意さていたのではないのだろうか?
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