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[コメント] 大魔神(1966/日)

神をも畏れぬ仕業をする人間達を、真の神は許しはしない。その時神は「魔神」となって我々の前に現れるのだ!
荒馬大介

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 今では「手をかざすと形相が変わる」というのがギャグにさえなっているが、これは「神」が「魔神」と化した瞬間なのだ。

 魔神封じの像をたがねで壊そうとした際に発生した落雷や崖崩れ、地割れのような「自然災害」も、本編からすれば確かに神がしたことに違いない。だが我々の行いをどこからか見守っている(かもしれない)「神」は、ここではまだはっきりとした姿を現していないのだ。だが、神をも畏れぬ悪の手によって完全なる窮地に立たされた乙女が、命をかけてまで祈りを捧げた時、ついに「神」は動き出した。表情が無かったその顔が「怒り」の形相に変わったというのは、「神」そのものの意思表示に他ならない。像に憑依するという形ではあるものの、はっきりとした姿で、その表情で、神は「魔神」となって我々の前に現れたのである。

 よくよく考えてみるとこれはトンでもないことだ。『十戒』で「光」と「声」までだったのが、本作では「顔」まで出しているのだから。

 その魔神を表現するために、本作では4.5メートル実物大魔神像を建造して人間との絡みがあるシーンを撮影しているのだが、実際映画を観ていると不思議と丈がそれよりも大きく感じる。ちなみに着ぐるみの魔神の中に入っていたのは大映スターズ(大毎オリオンズ?)の選手だった橋本力という方で、魔神の眼もこの人のもの。これも不思議と眼力を感じるのだが、どちらも魔神様の力なのか、それとも特撮の魔力か? そういえば魔神が左馬之助を捕らえて進むシーンなど、左馬之助の人形が恐ろしいほどリアルにもがいているのも凄かった。これは特撮の力か。

 そして伊福部昭の音楽もやっぱり凄い。魔神封じの祭りの神楽のような民族的・土着的な曲から、小笹の祈り、危機的な状況での音楽、そして魔神のテーマ等々、本編・特撮共々映画の雰囲気を作りつつきっちりと聴かせてくれる。

 いつだったか魔神のテーマが流れた時に父親が「“ゴジラのテーマ”みたいだな」というのを思い出したが、良く聴くと「♪ドシラ、ドシラ……」という旋律が使われているのは本当だ。このメロディー自体は当初は「ゴジラのテーマ」として作られたわけではない(『ゴジラ』のコメント参照)が、それが後にテーマ曲となる前にここで用いられている。伊福部氏はこのメロディを「魔神のテーマ」として使用したことで、『ゴジラ』の時では(伊福部昭氏の中では)マーチ曲だったこの旋律に、「何か」が迫り来るイメージが加味された、といってもおかしくは無い。あの曲自体にゴジラが徐々に迫ってくるイメージを得る方も多いだろうが、何か神々しいものを感じたのならばその原因は“大魔神”にあるのではないか、と個人的には思っているのだが、どうか。

(評価:★5)

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