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[コメント] 鬼火(1963/仏)

「凡庸」を闇雲に否定しても、「非凡」となる事は出来ない。「異常」になるだけだ。
uyo

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







アラン、君が主婦で、「今夜のおかず何にする?ダーリンv」と夫に聞いたら、 「なんかおいしいもの」と言われた。「なんだとこのー(怒)」とちょっと思わないだろうか。母親が、小さい息子に、「あなたはどうしてそう悪い子なの?どうしていい子になれないの!!」と叫ぶ。親に似ず聡明な子なら、涙目で睨みながら、「いい子ってどんな子だよ」と呟くだろう。

幸か不幸か、世の中というのは、具象で成り立っているのだ。アラン。料理は、大根を使うか、ナスを使うか、どんな風に煮るか焼くかを具体的に悩むべきだし、病院の待合室で、騒いだり暴れたりしてはいけないと具体的に子供を叱るべきなのだ。

「なんかいいもの」を書き、「なんかすぐれたもの」として永遠に世界に愛されたがっていた君(作品を観て、そうとしか受け取れなかったのだが(失笑)違っていたらすまない)は、完全に間違っていた。

じゃあまずい食事でもいいのか?子供が不良(死語)でもいいのか?俺は嫌だ!←君の思考はこうだ。いいんだよ。ここがわからないとむずかしいのだけど、ある程度「まずくてもいい」と思わなければ、本当においしい料理は作れないし、「いい子」を育てようとして、いい子が育った試しはない。異常状態に陥れば、非凡な発想が生れるだろうと言う信仰を捨て、お酒を飲まずに(身体機能の低下は思考能力の低下を招く)魚釣りか何かをしていれば、君が会った友人達のどれとも違う、ずっと求めていた唯一無二の「君自身」が、ある日必ず向こうからやってきたはずだ。そして、すっかり終わり果てたと思っていた自分の人生が、まだほんの入り口だった事に気付いただろう。そして、ジャガイモでも、トマトでも、何でも使ってたくさんの「本当においしい」料理が作れたはずだ。

「こころの病」は、おぞましくも懐かしい故郷のようなもの。「ダメである事」を否定すれば他人や人込みはひどく恐ろしく、自分を傷つける事でしか神経は癒されない。

君の冥福を祈る。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (6 人)けにろん[*] moot 24[*] かっきー[*] Shrewd Fellow[*] tredair

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