[コメント] リトル・ダンサー(2000/英)
映画を見終った人むけのレビューです。
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”男は男らしく、女は女らしく”
この言葉は多くの人が子供の頃に一回くらいは耳にしたのではないでしょうか。当然、男女のDNAは違うものなので、男ならでは、女性ならでは、の得意分野がそれぞれ有ります。しかし全ての人にそれが当て嵌まるかと言えばそうでは有りません。中には男性優位とされる肉体労働が得意な女性も居ますし、女性優位とされる言語能力が得意な男性も居るでしょう。気をつけなければならない事。それはステレオタイプにならぬように少数派の立場も理解すると言う事なのです。これがこの映画の主題。そんなとても大切な事を、静かに、そして力強く伝えてくれた作品でした。
さて、ここからは内容について。バレーは女が演じるものと思っている父親。その考え方に疑問を持つビリー(ジェイミー・ベル)。そのビリーも親友のマイケルに「バレーは好きでも僕はオカマじゃない!」と言い放ちます。心の奥底からちょこなんと顔を出すマイノリティーへの差別意識。しかし父親は目の前で情熱的な踊りをした息子の才能を認め、ビリー自身もオカマのマイケルにキスをする事によって親友の生き方を認める。このふたつのシーンが共に言葉ではなく身体で表現しているのが憎い演出だと思います。
タップやアイリッシュダンスが入り混じった踊りをするビリー。タップは母親が好きだったアステアから影響を受けている事は一目瞭然です。母親が残してくれたタップと、ビリーにとっては新機軸のクラシックバレーの組み合わせ。それこそが女性のしなやかさとは違った男性の力強い踊りなのです。そして25歳になったビリーの役は、実在のロイヤルバレーでも有名なアダム・クーパーです。現実に彼も幼少からタップを勉強していました。ロイヤルバレーでの成功もタップの技術を活かした力強い踊りを取り入れたからだと思います。この現実に実在するアダム・クーパーを映画の内容とリンクした事で、男性がロイヤルバレーで成功した事に現実味を増す事が出来たのだと思います。この件は疑問視する声も多いでしょうが個人的には好きな手法です。ただしアダム・クーパーを知らないと理解不能に陥る可能性があります。
次は父親の感情の流れ。息子がバレーをする事を、頑固一徹の父親が簡単に許してしまう展開に納得し兼ねる方もおられると思いますが、僕はここに描かれている父親像は首尾一貫していると思っています。この父は実質失職中の身で生活が苦しいながらも息子にボクシング代50ペンスを与え、息子のロンドンへの旅費も組合を裏切ったり母親の形見を質に入れてでも作る息子第一主義者なのです。この父親からしてみれば息子の才能を伸ばしてやりたいと思う事は至極当然の感情なのです。男のバレーが恥ずかしいと言う世間体よりも、息子の幸せを重要視する事はとても自然な流れだと思います。
最後に・・・。ほぼ完璧な仕上がりだとは思うのですが、淡々とした演出とボーカル曲の趣味が合わなかったので5点は付けられませんでした。これは作品の良し悪しとは別の問題なので如何ともし難いのです。
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