[コメント] 耳をすませば(1995/日)
少年は最後であのように叫ばなければならなかった。何故なら、彼がそれを実現できるか否かは問題ではなく、あの気恥ずかしいほどの刹那を肯定することこそが、この映画の使命だったのだから…
あそこで、「僕達はもう二度と会うことがないかもしれないけれど、お互い気持ちは通じ合ってる。二人それぞれの道を突き進んでいこう!」なんてことを言おうものなら、俺は間違いなくブラウン管にソバットを叩き込んでいた。あそこは、断じて、あれで良いのである。
過酷な現実社会の中で報われなかった無数の夢、そんな亡骸に遠慮して譲歩するぐらいなら、こんな映画は作らない方がいい。カンダダにぶら下がる無数の亡者達のようにこの少女を引きずりおろそうとする、現実に破れし者たち。彼らの怨念に取り憑かれながら、しかし、少女は空へと突き抜けていく。彼女が本当に飛行できるのか、それとも暴発し散っていくのか、惨めに墜落していくのか、それは誰にも解らない。この映画は、ただあの刹那を肯定したい、どうしようもなく肯定したい、それだけである。
それが無責任であるというなら、確かにそうなのかもしれない。だが、360度夢見がちな時期があった(いや、もしかしたら、今も…)者の一人として、およそこの映画を嘲笑することは出来ない。
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