[コメント] 耳をすませば(1995/日)
アナログな生活の手触りは大切だ。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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宮崎駿は、子供に向っては「君たちには無限の可能性があるんだ」と、大人に向っては「人生には諦めなければならないことがたくさんあるんだ」と、そういうつもりで映画をつくっているのらしい。
地方の劇場に大挙してつめかけていた中学生は、青クサいシーンがあるとみんな一勢に舌打ちするのだった。しかし脚本の宮崎駿だってそんなことは百も承知でつくってるはず。だからこそ「結婚しよう!」なんて、観てるこっちが恥ずかしくなるような背伸びした挑発的なまでの健全さで物語を〆るのだ。思春期の観客に世界への一片の真っ直ぐな思いが芽生えれば、それでよいのだろう。
生活の手触りに眼差しを向けたディテールの細やかさに感心する(たとえば図書貸し出しの記名)。人は何より体で生きているのであって、その具体的な手触りこそが現実なのだと思う。(宮崎駿はそう信じているだろう。)宮崎駿に言わせれば、少女マンガは心象だけが現実として反映される世界なのだそうだ。そんな少女マンガの物語を、敢えて具体的な手触りの充ちた世界にうつして描いたのは、心象だけの子供の世界から具体的な大人の世界に背筋を張って入っていけるように、あるいは、その道筋は具体的な手触りの世界のなかにきっとあるはずだ、という思いを込めてのことではなかったろうか。
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